2013年12月25日 23:56

今 敏オタの過ごすクリスマス

額にいれて居間に飾っている今さんの絵のローテーション、今年もこの季節がやってきたよ。『東京ゴッドファーザーズ』に変えた。


今 敏オタの過ごすとか言ったけれども、今日特別に『東京ゴッドファーザーズ』観るわけでもなく、ごく普通に過ごしたんだけどね。

ところで、『今 敏 画集 KON'S WORKS 1982-2010』が届いた。やったー。

実は一昨年の画集BOXの中身が本になっただけなんじゃないかと予想していて、とりあえず持っておこうっていうコレクターアイテムぐらいにしか思ってなかった。まあ概ねそんな感じなんだけど。
ところが、オハヨウの絵コンテや、武蔵美時代の作品、未公開作品の資料もあってこれは嬉しい誤算。大判で画質も良くて満足。
武蔵美時代の作品は展示があった時に観にいったから、初見ではないんだけど、大きくて綺麗な画質で手元に残せる形になるとは思っても見なかった。でも、今さん関連の絵はいよいよ出尽くしてしまった感あるかも?『夢みる機械』さえ公開されればなあ…

ちなみに父親に誕生日プレゼントにこれ買ってくれやって頼んで、アマゾンから送られてきた。まあ良いクリスマスプレゼントになったかな。
メリークリスマスギリギリセーフ  
2013年12月18日 22:37

鶴田謙二(2)

前回の記事のときはまだ『續 さすらいエマノン』が届いてなかったので、感想も何も書けなかった。その次の日ぐらいには届いてたのだけれど、ダラダラしてたらまたこんなに間があいてしまった。

今回は特典イラストカード付き。
中身は大変良かった。満足。台詞が少なく、「絵で語る」って感じがありあり。
前二作よりも弱々しく、女の子してる嫁入り前エマノンがかわいい。

ところで、今回はエマノンシリーズの単行本の良いところを紹介したい。
まあ、単純につるけんの絵が楽しめるということに尽きる。
そりゃそうだろってことなんだけど、これを見て欲しい。

表紙をめくると巻頭カラー数ページ。見返し部分、カバーをとってもカラーイラストがある。分かりにくいけど、幼女エマノンがカバーで、それをとると裸エマノンが出てくる仕組み。

裏表紙も同様に、カバーのエマノンをどかすと、ママエマノンが出てくる。

カバーとると、カラーの下半身エマノン。

と、全巻こんな感じでいたるところにカラーイラストが載っていて、ここにも絵がある〜っていうお得感がとても嬉しい。カバーとるとオマケマンガが載ってるっていうのはよくあるけど、こんなにサービスの良い単行本はあまりお目にかかれない。10年前の単行本『Forget-me-not』ではカバーの裏側にカラーイラストがあって嬉しかった。ところが今のところ最新作の『冒険エレキテ島』ではこういうギミックがなくて、とても寂しい。そういえばアベノ橋にもなかった。アフタヌーンKCが悪いのか?

ということで、エマノンシリーズの単行本はファンアイテムとしてとても優秀。何しろ僕らはつるけんの絵を見るために何でも収集したくなってしまうから。画集じゃねーかと言われたらあれだけど、マンガとしてもきっと優れている…はず。ちゃんとそれを言えるようになろう。
原作の最新刊発売、旧作復刊と、ファンとしては忙しくて嬉しい限り。  
2013年11月30日 23:02

鶴田謙二(1)

11/13に梶尾真治 のエマノンシリーズ原作小説の新刊『うたかたエマノン』が発売された。結構厚い。
そして今日、つるけんのマンガ版エマノンの『續さすらいエマノン』が発売された。ウキウキでそのレビューをするかと思いきや、届かなかった…
特典イラストカード付きを予約したの。はよこい。きたら鶴田謙二(2)を書く。

悔しいので今日は前回のつるけんの記事では紹介していなかったつるけんグッズ(?)を紹介しよう。


『鶴田謙二作品全集 壱+零.弐』
探しまくってようやく手に入れた代物。高かった…
つるけんのお蔵入りしてた過去作品を一冊の同人誌にまとめたもの。ハッピー興行新社という庵野秀明が主宰の同人サークルで1994年に出したものらしい。
巻頭の庵野コメントでは「鶴田謙二ファン諸氏の渇きをいやしてくれたら幸いです」とある。まさに今、新刊が届かない渇きを癒しているのであります。庵野は何気につるけんを昔から支持してくれていて、単行本の帯のコメントとかも寄せている。ありがとう庵野さん。

ちなみにハッピー興行新社の作品ラインナップはこちら。(ウィキペディアコピペ)
鶴田謙二作品全集 壱 (1992年)
機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会 (1993年)
鶴田謙二作品全集 壱 + 零.弐 (1994年)
さらばセーラームーン 激特集 長谷川眞也 (1994年)
さらばセーラームーン 夢特集 幾原邦彦 (1994年)
楽勝!ハイパードール 6 (2006年)
楽勝!ハイパードール 6.1 (2006年)
楽勝!ハイパードール 6.2
楽勝!ハイパードール 6.3 (2009年)

全部欲しいよね。ハイパードールだけ作者書いてないけど、伊藤伸平先生ですよ。


次は第40回SF大会(2001年)のビラです。
2001年と言えば、つるけんは第31回(2000年)、第32回(2001年)の星雲賞アート部門を受賞していて、SF界にその名を轟かすスターだったのだ!(?)
星雲賞はSF大会の参加者が投票して選ぶものなので、少なくともSF大会界隈では人気あるんだなあ。
詳しくは7/20の記事を参照。http://hippopotamus23.otaden.jp/e283567.html

アニメ史のハイライトの一つである『DAICON IV』やら、伝説を残しているSF大会。しかもつるけん好きな人が多分かなり多い。一度行ってみたいけれど、参加費3万円とかにもなるし、なかなか行けないよな…  
2013年11月24日 00:45

『かぐや姫の物語』

高畑勲作品が好きなんです。
ホルスに始まり、ハイジもアンもチエも山田くんもパンコパも、他の色々もみんな好き。
なぜ好きなのかって考えると、「家族」をしっかりと描けているからじゃないかなと思う。家族ものに弱いんだよね。お母さんが息子を大事に思ってるような描写を見るだけでツーンとくる。

「家族」は生活の中心であり、最も基本的な存在理由で、人間の生命の美しさはやっぱりそこに表れる。
だから、「家族」を描けるということは「生きる」を描けるということだと思う。その「生きる」力強さに僕は感動するんだろう。

宮崎駿監督の最新作『風立ちぬ』もキャッチコピーが「生きねば。」だったのは偶然じゃない。
宮崎監督にしろ、高畑監督にしろ描く人物達は全力で走り回り、大きな口を開けて笑う(『風立ちぬ』の描き方はちょっと違うかもしれないけど)。
彼らは生きているものを描けるからこそ偉大な映像作家なんだと思う。

『かぐや姫の物語』は「かぐや姫がなぜ地上にやってきたのか」というコンセプトで作られた。かぐや姫を感情移入の出来る一人の人格として描こうという試みだ。そして、かぐや姫が生命を得るために描かれる必要があったのは、「家族」としての営みだった。と思う。
かぐや姫は竹取りの翁、おばあさんに愛されて育った。原作において「この児、養ふほどに、すくすくと大きになりまさる」程度にしか描写されていなかったかぐや姫の幼少期も仔細に描かれ、それはそれは可愛い。
変な話しが、『かぐや姫の物語』こそ日本の物語史上初めて「かぐや姫」という人が生まれた瞬間なのではないかな。
高畑監督だからこそ、かぐや姫に命を吹き込むことが可能だったのだと思う。
高畑監督の描くかぐや姫は走り回り、草木、虫、鳥に触れた。生きようとしていた。

しかし、物語はかぐや姫に命が宿ったところでは終わらない。かぐや姫は段々それが出来なくなっていき、ラストは知っての通り月に帰らなければならない。かぐや姫は生きたかったけれど、生きることは不可能なのだと知る。それが「罰」ということなんだろう。
(キャッチコピーの「姫の犯した罪と罰」についてはパンフレットに高畑監督がズバリ答えを書いているのでそちらを参照。)
日本最古の物語である『竹取物語』がリリカルに、かぐや姫がより美しく生き生きとして描かれた『かぐや姫の物語』は、日本のフィクション史上に残る記念碑的作品だ。

もう一つ、映像としての完成度について。これはもうひたすら感動。古くから使われる楽しいアニメーションでもあり、かつて誰もやったことのない描き方への挑戦でもあった。
日本人が示すべき美しさを存分にアニメーションにした極致であり、ゴールであり、最高到達点であり、完成形だった。作画オタとして今まで見てきたアニメの中でも最高傑作の一つだと思う。

歴史的傑作を目の当たりに出来たことを幸福に思います。  
2013年10月20日 23:47

さぶん市行きました(報告)

10/16にさぶん市に行ってきた。
簡潔に言えば素晴らしい体験、感無量だった。はるばる京都から東京まで、一日お休みを取って行っただけあった。
しかし、行くまでは前途多難というか、心配だらけだった。主に台風が。

10/15出発の夜、「10年に一度の台風」とか言ってニュースは脅かし、ネットはお祭り。まあよくもよりによってこんな時に、僕は逸れろ逸れろと祈るしかなかった。
台風は16日の朝に関東直撃とのことで、僕が乗るバスは西から東まで台風に追従するかたちで、風にあおられ揺れに揺れた。
東京駅近くの駐車場で降ろされると、寝起きで低血圧の身体に風が冷たく、身体がガタガタと震えた。傘はひっくり返って使い物にならず、雨を浴びながら東京駅のマクドナルドに逃げ込み小休止。周りには電車が動かなくて行くところのない人々が大勢いた。これじゃあ吉祥寺に辿り着くことも出来んのではないか、むしろさぶん市の開店すらあやしいのではないかと気が気でなかった。

と、さも波瀾万丈の旅であるかのように書いたけれど、それもここまで。2時間程マクドナルドで時間をつぶして外に出るとすっかり晴れていた。
電車は止まりまくっていたけど、時間にも余裕があり、大した問題ではなかった。

さぶん市開店直後14時に行ってみると、すでにドアの前には中に入れない人の列が出来ていた。
台風もあり、平日で、開店直後にいきなりこれほどの盛況とは。
これには部屋を提供していたアートギャラリー絵の具箱の管理人さんらしき人物(ただの推測)も驚いたらしく、焦ってウロウロしていた。
彼がこんな会話をしていたのを立ち聞きしてしまった。「そんなに有名な方だったんですか?僕知らなくって…」
僕は高野文子先生、さベあのま先生を大友克洋先生等に劣らぬ漫画史のエポックと認識しているけれど、やっぱり一般的知名度は低いのだなあと、改めてわかった。でも、アートやってるなら知ってても良いような?関係ないか。

結局列を作るのは周りに迷惑がかかるということで、15時に再度来てくださいと整理券を渡された。その時に初めて高野文子先生、さベあのま先生お二人が「すいませんねえ」みたいな感じで出てきた。
うおおお本物だ。初めて行ったライブで、奥田民生がおもむろにステージ上でギターをチューニングしだした時以来の感慨。
でまあ言われた通り一旦解散して吉祥寺アニメイトで時間をつぶすも、こういうのは退屈で時間が全く進まないように感じるね。

15時に再び馳せ参じると、おしぐちたかし氏がお手伝いをしていた。その時はわからなかった(岡田斗司夫か?とも思った)けど、後で思い出した。高野文子先生のインタビュー目的でこの人の本を買ったことがある。

ここからがメイン。
高野文子先生はずっと立っていてグッズを買ったお客さんにサインをしていた。僕の中では『黄色い本』受賞の頃の写真が最新の姿だったので、髪も短く白くなっていたが、細くシャキっとした姿が印象的だった。さベあのま先生はずっと会計で忙しそうだった。
人でいっぱいキツキツの部屋を展示を見ながらぐるっと回り、グッズを手に取り並ぶ(すでに高野文子先生の大半のグッズは売り切れていた)。
すると部屋の電気が消えた。僕は自分が壁に寄りかかった時にスイッチでも押してしまったかとキョロキョロしたがとくにそんなものはなかった。
これは後でツイッターで知ったことなのだけど、さべあのま先生に座ったらと勧められた高野文子先生が、はじっこが好きだからと言って壁に寄りかかり、電気のスイッチを切ってしまったらしいのだ。なんだよ。かわいいじゃないか。見たかったな、それ。

そいで私が買ったグッズはこちら。左上がいただいたサイン。

サインには(カタカナで名字)君と、『ドミトリーともきんす』のように書いてください。とお願いしたら少し苦笑いして書いて下さった。これで、僕もトモナガ君やユカワ君のような新しい視線を持った人間になれるように頑張れる。と思う。

大友克洋先生やいしかわじゅん先生等が寄せ書きにサインしていたのを高野文子先生の背後にみつけて
僕「あ、いしかわ先生もいらっしゃったんですね」
高野先生「ええ、ご近所なので〜」
という会話をした。

僕は何度もありがとうございますと言って頭を下げて出て行った。

とうとう僕は憧れ中の憧れ、最も尊敬する漫画家と言っても良いお二人に会うことが出来た。『スージーちゃんとマービー』で育ち、『絶対安全剃刀』に大きな衝撃を受けた。既刊は全て集めた。そんな大事な漫画家と同じ空間にいて、多少でも会話をし、サインまでいただいた。アワー。ウワー。

生きてて良かった。

つづく  
2013年10月01日 00:24

10月はたそがれの国

10月なのでブラッドベリの『10月はたそがれの国』読んだ。
叙情派SFとか呼ばれた詩的なブラッドベリの作品こそちゃんと原文の言葉を味わって読むべきかもしれないな。と思う。
前に『幼年期の終わり』を一所懸命原文で読んだけど、しんどかった。

『10月はたそがれの国』の原題は"The October Country"っていうんだけど、この邦題気が利いてて良いよね。ニュアンスは変わってるかもしれないけど、ブラッドベリの幻想的な言葉の雰囲気を上手く表してると思う。少なくとも『スはスペースのス』よりは絶対に良い。
さて、正直10月だからっていうこのタイトルありきで、記事の中身考えてなかったんだけど、せっかくだから邦題について考えてみる。

SF小説の邦題って素敵なのが多いよねって話はよく聞くと思う。まあ実際は原題のほぼ直訳なんだけど微妙な言葉遣いの差で光ってると思う。
例えば"The Lights in the Sky Are Stars"は『天の光はすべて星』で、ただ直訳したらこうはならないけど、簡潔に訳してかつ壮大になってる。"Inherit the Stars"が『星を継ぐもの』っていうのもカッコイイ。

映画の邦題には原題よりも良いのがたまにある。
"Sister Act"→『天使にラブ・ソングを…』
"Butch Cassidy and the Sundance Kid"→『明日に向って撃て!』
この辺は原題より邦題の方がカッコイイと思う。『明日に向かって撃て!』なんて原題は名前並べただけだからね。

"Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols"→『勝手にしやがれ!!』
"Under Siege"→『沈黙の戦艦』
この辺は日本の既存コンテンツへの当てつけというかパロディというか。
日本における「勝手にしやがれ」の変遷はゴダール→ジュリー→ピストルズって感じですかね。

"A Hard Day's Night"→『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』
これは変え過ぎて意味が分からん。別の作品と間違えてつけた説があるらしい。ただ、もう定着してるから「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」と言えば「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」なんだよね。僕も結構好きだよ。ちなみにつけたのは水野晴郎氏だそう。
ところが2000年から『ハード・デイズ・ナイト』に邦題が改められたらしい。これは無粋だ。

こんな感じかな。タイトルありきで中身なんも考えてなかったけど書き始めたら意外と記事になった。ということで、タイトル(邦題)についての話でした。  
2013年09月07日 12:47

さぶん市行きます(確定)

https://www.facebook.com/sabbun1
さべあのま先生と高野文子先生がオリジナルグッズのセルフマーケットを行うそうで。

時期は2013年10月16日(水)〜20日(日)で場所はアートギャラリー絵の具箱 @吉祥寺とのこと。

さべあのま先生と高野文子先生と言えばもう、このブログは彼女らの漫画を語るために始めたと言っても過言ではない。私にとって最重要な漫画家(このブログでほとんど語ってないけど)。当然漫画の既刊は全部持ってるし、挿絵を描いてる小説もジャケット描いてるCDも集めるくらいにはファンだよ。

私は関西住まいなので、東京に行くのは毎度時間と気合いとお金が少し必要になるけれども、こんなチャンスには惜しむまい。
なにしろ私は徳島のマチアソビに行こうと友人から誘われていたにもかかわらず行かなかったところ、後からエンターブレインの漫画家サイン会があったと知り、福島聡先生と会えるチャンスを逃すという痛恨のミスを犯したのだ。こんなことはもう許されない。許されない。嗚呼、今尚口惜しい…!

お客さんの多くは奥様方と予想されるので、こんなキモオタが行ったら浮きそうだなあという心配はあるものの、まあ楽しみに続報を待とう。

現在高野文子先生がマトグロッソ( http://matogrosso.jp/ )で連載中の『ドミトリーともきんす』が春休みに入って、次回更新は8/8と言っていたのに8/8に見てみたら次回更新は10/10に延びてて、がっかりしたんだけど、まあこれの準備のためだったのだろうなと理解するものであります。  
2013年09月06日 23:13

それは まぎれもなく




コブラじゃねーk(ry

レディでしたね。
コブラ?持ってないよ!

figma アーマロイド・レディを購入。
綺麗に写真撮ったり出来ないので、フィギュアレビューめいたものは出来ないけど、とりあえずウキウキで数枚写真撮ったので貼るよ。
「わたしのこの超合金の体を手玉にとるなんて!」


とりあえずパッケージに載ってるカッコイイポーズ僕もとらせてみた。




腰つきが良い。太ももも良い。セクシー。





おっぱいが可動…!





腰がしっかりとそるから、女性的な色っぽいポーズがとれるね。お尻。







胸から下を再現用の別パーツに変えればあのポーズもとれるよ。
まあこんなんパッケージにも写真載ってるからわざわざ言うことないか。

とりあえずもっと遊んで、カッコイイポーズを探してみますかね。

レディの声は宇宙一美しいよ!

終わり。
「はくちょう座の網状星雲で面白いことがあるそうよ。それにあの辺のワインは宇宙一という噂。行ってみましょう、コブラ。」

  
2013年09月01日 23:17

マンオブスティール観てエイミー・アダムスのファンになったので那珂ちゃn(ry

マンオブスティール観た。艦これは全く関係ないよ。やってるけどね。

ちなみに僕自身はアメコミ全然詳しくない。許して。身内や友人から聞きかじった知識がほんのちょーっとだけあるくらい。
なので、かなり適当に思いついたことを言いますよ。一応ネタバレにならない程度に。

以下散文。ツイッターでやっとけ。ツイッターでも一通り言いました。

アクションは派手でかっこいい。スーパーマンのパンチでぶっ飛ぶ感じとか、質量感があってかなり気持ちよかった。けど、最初から最後までアクションの山場が多過ぎてまあちょっと疲れた。スーパーマンの超パワーを最新の映像技術を駆使して表現するということには成功してたんじゃないですかね。画面もかっこ良かった。

スーパーマン自体はすげえかっこいい。 ヘンリー・カヴィルの胸筋ぶるんぶるんで素晴らしい。顎も逞しいし、良いスーパーマンだった。

次、とりあえずDC映画として、ヒーロー映画として。青いスーツのスーパーマンがみんなに褒め称えられながらヒーロー活動をする姿は描かれなかった。オリジンだからヒーローの誕生だ!っていう瞬間のカタルシスを期待したんだけど、それがなかったなあ。
バットマンビギンズだと、バットマンのお約束要素がどんどん取り込まれて、いよいよバットマン完成だ!っていうワクワク感があったんだけど、そういう要素は欠如していたように感じる(僕が読み取れていないだけなら申し訳ない)。
ラストシーンに関して、バットマンビギンズはジョーカーの登場を示唆する胸熱展開で終わったわけだ。マンオブスティールのラストシーンも一応スーパーマンに描かせない要素を取り上げたけど、あと一歩快感に欠けて地味だった。(スーパーマン映画に必ず出てくる小道具に関してはちゃんと登場してたらしい。僕は見逃してた。)
つまり、全体的にはお約束やファンサービス的なものの不足を感じた。
まあ「これを取り入れて欲しかった」とかの話しはあんまり言うと「ぼくが考えたさいきょうのスーパーマン映画」になっちゃうからやめとくね。

これはトレーラー見ればわかることだけど、スーパーマンのオリジンにも関わらず、最初の敵が、いきなりスーパーマンを目的に地球にやってくるっていうのがつらい。みんなのヒーロースーパーマンじゃなくて最初から厄介者扱いなのかよと。観る前は思ってた。
が、そもそもスーパーマンがいなかったらこんなことになってないのに、その問題にはほとんど触れず、U.S.Armyがスーパーマンを味方認定してあとは共闘。適当だな!
まあその辺は大らかで良いか。むしろスーパーマンがそういうので世界中から非難されるのは見たくなかったわけだし。
軍との共闘の件は平成ガメラ2を思い出したよ。
ただ思ったのは建物ぶっ壊しまくっても一人のヒロインのピンチは必ず救うというのはある意味ヒーローっぽくて良かったんじゃないかな。

本題。ロイス・レーン役のエイミー・アダムスが良かった。『魔法にかけられて』のときはアホなお姫様役だったからか、興味が無かったけど、今回の役はとても好みだった。やっぱキャリアウーマンっぽい、シャツとかビシッと着てるカッコイイ女性は良いね。ファンになりました!ファンになりました!

結論としては『ヤングスーパーマン』という詳細なオリジンが大人気放映していたアメリカにはスーパーマンのオリジンはそれほど重要ではなくて、スーパーマンのアクション、映像のクオリティに特化したのかななんて。

おわり。  
2013年08月23日 18:14

一ヶ月前に『SHORT PEACE』観たよ。思い出したよ。

大友克洋最新作『SHORT PEACE』観てきましたよっと。観たの一ヶ月程前なんだけどね…
確か、前の記事書いた日に観に行って、早速感想をブログに書こうと思ったけど、マンガミュージアムのことを書いてなかったから先にそれを書かないとと思い出して、それでは『SHORT PEACE』については明日書こうとか思ってたら一ヶ月経っていましたと。
なんですぐ書かないかな…感想の鮮度も下がっちゃうのにね。感想書く程の作品じゃなかったとかじゃないから。本当に。良かったんだから。
うん、良いアニメ見てきたっていう充実感は確かにあるのですよ。
本当はそれほど期待してなかったのだけど。

カトキハジメが初監督だったり、『火要鎮』が文化庁メディア芸術祭アニメ部門の大賞とったり、話題にはそれなりになってたけど、僕はどうもまだ3DCGのアニメに慣れなくて、観る前はせっかく優秀なスタッフ集まってるんだから手描きでやってくれよーとか思っちゃってたのだ。
2006年の『FREEDOM』とか僕はすごい好きなんだけど、トゥーンレンダリングのまだまだチープな質感にちょっとがっかりしていたから、その印象がまだまだ拭えないでいたのもある。ところが今回の『SHORT PEACE』は予想以上に違和感がなかった。進歩してるじゃないか!素晴らしいネ!
神山監督の009も含めて、日本のアニメでトゥーンレンダリングをつかっていこうって挑戦は続いてるのよね。

思えば99年頃の大友、森本晃司さん、亡くなった今さんの対談でも「僕らはCGを使うのが面白いから使ってるんだ」って話をしてて、そこからずっとCGをアニメーションにうまく取り入れようってずっとやってきたんだね。安くアニメーションを造れるからという消極的な理由じゃなくて(それはそれで良いと思うけれど)、CGを使うことに表現的な面白さを見出せているからこそなんだと思う。今回はその挑戦がかなり実を結んでいるのを感じました。感服。

肝心の中身の話。ちなみに共通テーマは「日本」なんだってサ。
まず森本監督担当のOPは、ひぐらしの鳴く幻想的な雰囲気の鳥居と少女というモチーフ。もうこれは僕が大好きな奴ですよ。出だしの数秒で気持ちよくなれた。何度でも観たい。

続く森田監督の『九十九』、これはCGで日本の布の美しさを表現しようってやつですかね。人物のCGは若干滑ってたし、背景と噛み合ってない感じを受けたけど全体的に暖かい印象を受けるCGだった。

そんで大友監督の『火要鎮』、すげえ!こんなに綺麗な!すげえ!日本の絵巻物が動いてるよ!大友ってやっぱすげえな!
と言う他ない。本当にすごかった。
CGを使ってる部分が一部のモブと、人の髪の毛っていうのが面白い。アニメーションキャラクターにCGのカツラをかぶせてるみたいな感じかな。

安藤監督『GAMBO』、なかなかの衝撃作だった。えぐい。鬼が村を襲って山の神様が退治するっていう昔話を現実的にして、残酷さから目をそらさないで描くっていうところがポイントだったかなと思う。CGも独特の荒い線を使ってアニメっぽく見せてた。

カトキ初監督『武器よさらば』、戦闘シーンが大友の原作マンガより詳細に描かれていた以外はほぼ原作通りの展開だった。カッコイイエンターテイメント作品になってたけど、まあなんか無難な印象。これのどこが「日本」なんだ?と思って見てたら最後の遠景で申し訳程度に遠くそびえる富士山に笑ってしまった。

こんな感じ。CGアニメーション技術の先に行こうと、向上させようとしているのが感じられたし、進化を実感出来てよかった。
『風立ちぬ』のような一般の人々にも観てもらえる名作が公開されている裏では、こういうアニメを進化させようという挑戦があるものなのですよ。多分。  
2013年07月21日 00:54

京都国際マンガミュージアムの展示見てきましたよ

タイトルの通りでございます。
でも、行ったの6/29なんだけどね。すっごい良かったのになんでブログで書かなかったんだろう。
とりあえず昨日(さっき)の記事書いて思い出したので。

見てきた展示はこんなん
「寺田克也ココ10年展」
http://www.kyotomm.jp/event/exh/teradakatsuya_10years.php
「諸星大二郎原画展:不熟1970-2012」
http://www.kyotomm.jp/event/exh/morohoshidaijiro1970_2012.php
「竹宮惠子監修 原画'(ダッシュ)展示シリーズ 凛々しく 可愛らしく」
http://www.kyotomm.jp/event/exh/genga_dash2013.php



↑は寺田克也展の一部撮影可のもの。巨大な絵が部屋中に詰まってて大迫力だった。

良かった。感動したとしか言いようが無い。寺田克也展は最終日だったけど、他のはまだマンガミュージアムでやってるから、絶対に見に行った方が良い。
そんな中でも特に良かったのが、「竹宮惠子監修 原画'(ダッシュ)展示シリーズ 凛々しく 可愛らしく」で、内容は藤井千秋、花村えい子、ちばてつや、竹宮惠子の原画'展というもの。ちなみに原画'ってのは最新の技術を使った複製原画のことらしいよ。

そしてなにしろ藤井千秋先生の絵が素晴らしかった。もうその場で頭かきむしりそうだった。膝から崩れ落ちそうだった。線画繊細で色塗りも凄く綺麗。
叙情画って元々好きだったのかもしれないけど、一気にハマった。興奮してグッズも結構買った↓



諸星大二郎展はラインナップも変わるらしいし、藤井千秋先生の絵を見にあと何回か行こうと思う。

  
2013年07月20日 22:54

【祝】第44回星雲賞【つるけん】

星雲賞が発表された。
僕は今日が発表ということも全然知らなかった。友達のツイッターでモーパイが受賞したと知り、やるじゃないかと調べてみればアート部門にあの人の名前が

【アート部門】鶴田謙二 The Best Artist  Kenji Tsuruta

つるけんきたああああああ
どうでも良いけどThe Best Artistって響きがカッコイイね。

つるけんの受賞は2000年、2001年と合せて3回目。個人的にはファンになってから初の受賞なので、リアルタイムで祝えるのが嬉しい。
前回受賞した2000年前後のつるけんはSFマガジンの表紙を1年通して描いてたり、『Forget-me-not』描いてたり、『アベノ橋魔法商店街』描いてたり、かなり多忙だったらしい。2001年の第40回日本SF大会のパンフッレットのメインビジュアルとかも描いてるし、SF界隈では人気者だったろうなあと予想がつく。まあ本人はその時、あくまでも漫画家であることを大切にしていたみたいで「そうか、やっぱりイラストか」とかコメントしてる。
ちなみに第40会SF大会のチラシはネットのオークションで回収しました。
ちなみにちなみに2001年の星雲賞はデジモンぼくらのウォーゲームとかもノミネートされてたね。

で、今回はというと、授賞式ではでかでかとFUTUREの画像が上がってたけど、あれの発売一昨年だし、今年の評価にはあんまり関係ないかなという気がする。評価対象となってる去年は、「仕事しない人」というレッテルが貼られて久しい中、めずらしく『エマノン』も『エレキテ島』もちゃんと描いてた。けど、それってアート部門の評価か?漫画でもらった方がいいんじゃないの?
ということで私の見解としては、SFアーティストとしてかつての人気者つるけんが最近ちゃんと漫画を描いていて、存在感を取り戻してきたのではないかと。星雲賞はファン投票だし。
まあなんにせよ嬉しいね。自分の最も好きな絵を描く人がこうして今でも評価されているのだから。SF界隈にはまだまだ固定ファンが多いんだろうな。


次回のアート部門は寺田克也と予想。そういえば先月、寺田克也ココ 10年展行ってきたのブログで書いてなかったわ。

他の賞をざっと
『屍者の帝国』妥当。遺作だし。
『アンドロイドの夢の羊』妥当。去年みんなそればっかだったし。
『モーレツ宇宙海賊』いいね!佐藤竜雄監督も好きな僕は今回の星雲賞は大勝利だ!
『星を継ぐもの』星野之宣先生。妥当過ぎて逆にアレ。SFのオールタイムベストを日本SF漫画の巨匠が描いたのだから他に無い気がする。
ちなみにつるけんは星野之宣先生の影響を公言してるので、結構感慨深い賞にはなったと思う。

つるけんてこれね↓前も貼ったけど






  
2013年07月18日 00:03

ビューティフル•ドリーマーよりもオンリー•ユーが優れているワケ

アニメファンの間で、うる星やつらBDが好きと言っておけば、わかっていると思われる風潮。わかってない。全然わかってないわ。
オンリー・ユーの方が明らかに名作。その根拠を今回は述べようと思う。



一つ、エルたそ(CV:榊原良子さん)

以上。

やっぱり押井守って偉大だわ。榊原良子さんを気に入って、よく起用したということはもっと評価されるべきなんですよ。
押井が監督やった、世界初のOVA『ダロス』にだって出てンだから 。あんま面白くはなかったけど。
ヒッチコックにとってのグレース・ケリー、押井守にとっての榊原良子さん。やっぱ優秀な監督は優秀な女優を嗅ぎ分ける能力も高いのですよ。
部屋にオンリー・ユーのポスター貼りました。
  
2013年06月02日 23:59

最近どうですか

なんか身内がみんなブログを更新していたので、僕もFBの焼き直しだけど更新しておこうと思ったので。同じこと色んなところに書いちゃってるので。

◆東京で演劇実験室◎万有引力◎30周年記念公演 2013年版『SUNA』-わたしはあらんとしてあるもので、 あるとはすべてであり、 わたしはあらんとしてあるもの -(長い)を観てきた。一つ一つのシーンや、台詞はシュールで捉えきれんかったものの、全体としては「存在の不確かさ」「虚構と現実」「日常と非日常」がメタフィクショナルに表現されていて、最近の僕の関心ごとにも近く、興味深く観れた。そもそも劇そのものの構造や、劇を劇たらしめているものに踏み込むことこそアングラ演劇の本分なのだろうなと感じるところであります。
特に僕にとって面白かったのは、舞台と観客席に置かれた黒電話で、役者と観客が電話をするというシーン。役者が現実世界での役者の生活の話をしていたかと思いきや、徐々に劇の中の話と混じり合っていき、虚実どちらなのかわからなくなっていくというもので、背筋がゾッとするのを感じた。
また、虚実を規定する概念を『キョリ』という言葉に託していたのも印象的。とりあえず面白かったということで。

◆新宿行ったついでに紀伊国屋書店で近藤ようこ先生画『戦争と一人の女』を購入。なんか特性ブックカバーとやらもついてて嬉しい。

◆後輩からQJマンガ選書から出ている徳南晴一郎『怪談人間時計』を借りて読んだ。作者の単純な絵の下手さからなのか、精神的な不安定さからくるもなのかわからないけど、独特のパースの歪みや人間の奇妙な造形、影の付け方は読むものも精神的に揺さぶる凄いマンガだと感じる。高校時代は頭のおかしいようなマンガを求めて読みあさっていたが、これだったんだなと確信した。

◆さて、僕の所属するとある団体では時々読書会を開いとるんですよ。いままで東浩紀『動物化するポストモダン』や宇野常寛『ゼロ年代の想像力』などサブカル批評を取り上げきたけど、今回は趣向を変え、マンガ読書会ということで業田良家『自虐の詩』をPic Up。マンガ評論家の間の評判が大変に高く、評価が固まっているマンガではあるけど、この作品にあまりピンとこなかった人との議論や、既存の評価では挙げられていなかった視点(特に4コマ一つ一つのタイトルの関連性について)や発見も多く、有意義なものになったと思う。次の読書会は是非つげ義春『無能の人』にしようと話した。
中学三年生の時に読んで以来久しぶりに読んだけど、やっぱりすごいマンガだわ。
人生には明らかに意味があるよね。  
2013年05月15日 23:32

九井諒子先生のひきだし

友人から九井諒子先生の新刊を借りて読んだ。
単行本は3冊出ているけど、発売の度にその友人から借りて読ませてもらってる。買うよ、そのうち、買いますとも。

ということで3月に出た新しい短編集『ひきだしにテラリウム』を読んだ第一印象は「漫画が上手くなってる」ということだった。
特にそれを感じたのは猫がメイクをする様子を描いた短編(もう友人に返してしまったため、手元にないので題名は忘れたけど、たしか『かわいくなりたい』みたいなタイトル)。
毎度おなじみの高野文子先生とちょっと比較させてもらうと、『AERA COMIC 手塚治虫文化賞10周年記念』収録の書き下ろし漫画『おりがみでツルを折ろう』(単行本未収録作品)と近いことをしていると感じた。これはその名の通り、折り紙で鶴を折っているところを描いただけの漫画なんだけど、並の画力では正しく伝えることは非常に難しい。しかも高野先生の絵は非常に情報量が少ない上に、扱う対象が「紙」からなおさらだろう。しかし、高野先生はこれを難なく描いている。
高野先生について多くの漫画評論家からの共通の評価として「些細な日常の描写」「見たものを見えているよう描く能力」といったものがある。前者の最たる例が『おりがみでツルを折ろう』だろう。後者は模写の能力とかそういう意味ではなく、「漫画によって伝える能力」だと思う。コマ割り(視野)やカメラワーク(視点)を全て計算して読者の読み方を支配することで、突飛なアングルやカットを使いながらも読者が何が起こっているのかわからないという状況は起こらない。
そこで、猫のメイクはどうかというと、はじめに毛がボサボサと野暮ったい顔つきの猫がいて、睫毛を処理したり、アイラインを入れたりすることでかわいくなっていく様子が違和感無く描かれている。ある事物が作業によって別の形へ完成するという流れを漫画で描くのは先述したようにとても難しいんだけど、九井諒子先生はやってのけた。

単純に絵がうまくなっているというのもある。短編ごとに絵柄を少しずつ変えているのは前作と同様だけど、今回は少女漫画風の母親、スポ魂漫画風の父親、トレンディ漫画風の姉を持つ、ショートショートの主人公風の女の子なんていうわかりやすい描き分けをする漫画もあって面白い。

フィクションを現実世界に落とし込み、シミュレーションをする作風はさらに洗練されてきている。シミュレーションSFなんてのは昔からあるけど、サンタクロースや竜がほんとにいちゃった場合どうなるのか、その楽しさや苦悩を描く九井諒子先生の視点はよりミクロで身近だと思う。
しかも短編中心の作家に多い、休みがちということもなく描き続けている。アイディアや絵のかき分けもいまだに豊富で末恐ろしい。

神話、SF、ルポ漫画風、丸三角四角という記号自体の食べ方についての漫画まで、九井諒子先生のすごさはこういったひきだしの多さだと思う。
  
2013年05月08日 22:52

偉大なるマイナー

先日、友人と日本の漫画の歴史について少し話して、ウィキペディアにはどんな感じで書かれてるのかなということが気になって調べた。そのまんま「日本の漫画の歴史」という項目。

ガロやCOM、ニューウェーブがどのように扱われているのかという興味で調べたんだけど、そこのくだりはいっさいなく、劇画の流れなんかについても全く触れられていなかった。僕の興味の中心であるニューウェーブについては「この時期に連載を開始した漫画」として大友の『童夢』『AKIRA』が羅列されているだけだった。これにはちょっと驚いた。大手出版社の特に少年少女誌を中心に歴史を綴るのは当然のことと思うけど、じゃあそのメインストリームに「ガロ系」やニューウェーブは全く影響を与えていなかったのかと。それは違うでしょー。あだち充だってCOMの出身だし、全共闘とガロの話は日本史だし、大友がいなかったら今の多くの漫画家はいなかったでしょー。
と悶々としていたところにビッグマイナーという単語を思い出した。

ビッグマイナーはその分野をちゃんと知る人ならその功績の偉大さを知っているけど、一般的には知名度の低い人のことを指す言葉で(多分)「ド迫力のマイナー」を自称する平沢進なんかが該当する。漫画家の場合、僕が馬鹿の一つ覚えのように名前を連呼する高野文子先生が該当すると思う(専門家や漫画家からの評価は凄く高いけど、今や能動的に知ろうとしなければ知ることの無い存在になってるという意味で)。

で、奇しくも平沢進もまた、音楽の方で言うニューウェーブの人というところが象徴的だと思う。つまり、音楽も漫画もニューウェーブってのはメインストリーム以外のところから沸き起こる偉大なるマイナーアーティストによるもので、その刺激がその分野に詳しい人々の間で消化されて、表向きには見えない変革をもたらすということなんだろうな。
と定義の曖昧な言葉だけど、いつもとは別の切り口で考えたわけでした。
  
2013年04月24日 19:11

意外な?共通点

僕は高野文子先生やつるけん(鶴田謙二先生)の作品が好きだとよく言ってるけども、他には今 敏監督の作品もとても好きで、漫画もアニメもちゃんと全部押さえておるのです。
こないだ買った故白山宣之先生の遺作集「地上の記憶」に載っているこれまた僕の好きな漫画家さべあ のま先生の追悼メッセージによると、若き日の今さんがさべあ のま先生の作品の手伝いをしていたこともあったとあるじゃないか。
大友先生の弟子のような存在であることは知ってたけども、他のニューウェーブ作家ともやっぱり交流があったのだなあと新鮮な驚き。
まあ僕はニューウェーブの作家を追ってるので、その周辺で接点があるのは当然のことかもしれないけども。
そう考えると、今さんもあの新しい波の中から出てきた才能なんだなあと再確認させてもらった。

他にも最近気づいた共通点で言うと、原作の方の「おもいでエマノン」。
今は小説の表紙も漫画版もつるけんで認知されてるけど、かつては高野文子先生が文庫版の表紙を描いていたらしい。
これは嬉しい。共通点を持たないと思っていた二人の好きな漫画家が、作品によって繋がっていたとは。
画像は残っていたのでネットで見たけども、是非高野文子先生のバージョンも手に入れたい。古本屋さんで探すしかないかなあ。


話は変わるけども高野文子先生の「るきさん」で、るきさんがハロルド作石先生の「ゴリラーマン」を読んでいるのに気づいた人はいるだろうか。小ちゃい絵が映ってるだけなので、確証はないけど、多分そうだと思う。っていうかこんなゴリラ面他に無いし。
高野文子先生が「ゴリラーマン」好きだとするとちょっとギャップがあって面白いけど、やっぱり良い漫画家はその時代の良い漫画に目を向けているのだなあ。
  
2013年04月04日 21:43

春ですね

風邪を引いた。花粉症もツライ。
春先は色々と体調を崩しやすい。こういうのがなければ好きな季節なんだけどなあ。

さて、額にいれて居間に飾っている今さんの絵のローテーション、昨年末からずっと『東京ゴッドファーザーズ』のままにしていたので変えてみた。



『妄想代理人』にしてみた。不気味でいい感じじゃないですか。

ついでにつるけん画集『Eternal』の中に入ってるB1のでっかいポスターも居間に貼ってみた。




これはイイ。いい感じ。心が潤うね。ほんとは自分の部屋に飾りたかったんだけど、窓が多くてこんなでっかいポスター貼れないので、しょうがなく。
もちろん保存用にもう一枚ちゃんと確保してあるのです。オタクなので。

ということでほんのちょっと模様替えをしたというはなし。春なので。  
2013年03月25日 23:52

「七人の侍」的時代劇と「もののけ姫」

『何が映画か「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』を読んで思ったことを。
 
 「七人の侍」はハリウッド的ストーリー構成をとっていると言われることが多い。これは安定した状況から変化が起こり、それに対するなんらかの解決がなされるという点で語られたことであるが、実際、ジョージ・ルーカス、スティーヴン・スピルバーグなど錚々たるエンターテイメント監督達が口々にこの作品の影響を語ることからもハリウッド的快楽、分かりやすさを持っていることが伺える。当然のことながら、黒澤明が映画に与えた影響はハリウッドだけではない。日本のアニメーション作家達も黒澤明作品を見て映像制作のなんたるかを学んだという。分かりやすい例で言えば、出崎統監督の「ガンバの冒険」がある。このアニメは主人公をネズミにしたリメイクとも言える作品となっている。このような明確な影響だけでなく、映像制作の基礎、方法論が受け継がれていることを見ることが出来る。本文ではそんな中で、特に影響を受け、また同じように世界にその名を知らしめ、続く作家達に影響を与え続けている宮崎駿を見ていこうと思う。また、「七人の侍」と対応させて「もののけ姫」を時代劇の傑作と捉えて考えていきたい。

宮崎駿と黒澤明
 黒澤明が映像を作る多くの者達にリスペクトされていることは疑い無いが、今回取り上げる宮崎駿も「七人の侍」が一番好きな映画だと語る一人である。また、真意は定かではないが、黒澤明も宮崎駿の作品が好きだと語っていた。日本を代表する映画監督が互いに意識をしているというのは興味深い話である。

黒沢明、宮崎駿の対談を読んで
 さて、『何が映画か「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』を読むと、早速馬や武具へのこだわりの話になる。武具はこの時代ならこうではないですかと宮崎が問えば、実はこれで正しいのだと黒沢が答える。映画の細かい部分にこだわることが彼らの楽しみなのだ。黒沢は撮影した戦闘描写や武士のあり方が正しいかどうか専門家達に聞いて回ったというエピソードもある。宮崎作品も背景の美しさや、人物の服装までこだわった映画を幾つも生み出している。宮崎駿の「雑草ノート」「妄想ノート」を読むと、ミリタリー中心ではあるが、その細かなオブジェクトへの気配りを知ることが出来る。こういったこだわりが彼らの巨匠たる所以であろう。

ディティール、リアリティへのこだわりと、目指すものの違い  
 さて、黒澤明と、宮崎駿は細かい部分へのこだわりにおいて、共通点を見いだすことが出来たが、異なる点もある。
 一般的な映像作品に置ける百姓達は、哀れな被害者で純朴な存在として描かれることが多い。しかし、菊千代が「嘘をつく 何でもごまかす」「けちんぼで ずるくて 泣き虫で 意地悪で間抜けで 人殺しだあ!」と叫んだように、「七人の侍」では我々の牧歌的な百姓への憧れをぶち壊した真の姿が描かれている。黒澤明が幻想を壊す程の徹底したリアルな世界を描いたのに対して、「もののけ姫」に登場する人々は必ずしもそのような醜い姿を見せるわけではない。逞しく、明るい、気持ちのいい人間達である。また作品全体に自然への幻想的な憧れも感じる。人間描写に置いて求めるリアリティに違いがあることがわかる。
 また、黒澤明は「テーマなんてものはなくたって、当然作品というものには作者の人生観が出て来てしまうものなんだな。」と語ったように、必ずしも作品にテーマを持たず、自身の中の思いは明確にしようとせずとも作る中に表れると考えた。「七人の侍」を見ると、ハリウッド的、ドラマティックであると同時に、客観的に時代の生活、事実を捉えたドキュメンタリーのようにも見える。単純なハッピーエンドに終わらないことからもそれが言えるだろう。ここで、時代の一場面を切り取ったかのような時代劇を「七人の侍」的時代劇と呼ぶことにする。それに対し「もののけ姫」含む宮崎駿作品は自然信仰や神秘主義、若者へのメッセージなど目的を持って作られていることが多い。

新時代の映画へ
 「七人の侍」が時代劇の最高傑作の一つであることは、多くの人が認めるところである。同時に1954年という早い段階でそのような作品が生まれてしまったことは、その後の作品にある種の縛りを与えてしまうことになる。作品が「七人の侍」的であればそれを越えていくのは難しい。そして、「七人の侍」の道から外れてしまえば時代劇映画製作のいろはを知らないやつだと言われかねない。それについて、宮崎駿はこう語っている。「黒沢監督は『七人の侍』を作ったことによって、日本の映画界に一つの基準を作ったと僕は思っています。(中略)その後、多くの人間達が映画を作るときに縛ってきた。(中略)我々に課せられているのは、「なるほど違う時代劇だ」という映画を果たして作れるかどうかということです。」この発言から4年後、宮崎駿は新作を発表する。それこそが、その縛りから逃れることを達成した「もののけ姫」であった。宮崎駿はこのアニメーションによって実写映画ではなし得ない表現を手に入れたのである。「もののけ姫」は正確には時代劇ではないかも知れない。しかし、劇中で見られる弓を射る姿、時代考証と人々の行動原理など細部のこだわりが見られるこの作品は方法論から見れば「七人の侍」的時代劇なのである。しかし、それだけではない。この作品は同時にファンタジーであり、人間の生きることや自然の神秘性をテーマとして語るのである。これこそ、「なるほど違う時代劇だ」と言える黒澤明の縛りから解き放たれた新しい映画の一歩ではないだろうか。
 今日、宮崎駿という人が残した功績が人々を縛っているように見える、ポスト宮崎駿、ポストジブリなどという言葉を目にすることもある。「なるほど違うアニメだ」と言われる作品を作るには必ずしも既存の方法論から逸脱する必要は無い。むしろ宮崎駿のやったように、既存の方法論を追求していく中に、新しい映画の一歩が見えるかもしれないのである。

【参考文献】
[1]『何が映画か「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』黒澤明、宮崎駿、徳間書店、1993年
[2]『大系 黒澤明 第2巻』黒澤明、浜野保樹、講談社、2009年
  
タグ :アニメ映画

2013年03月24日 22:56

ワンピースの話(嘘)




声優、田中真弓さんの1993年のアルバム「ラターニャの鏡」を購入。声優の企画ものの割に手を抜いてないアーティスティックなジャケットでイイネ。
しかし残念ながら中古でございます。多分もう新品では手に入らないかな。
中身は田中真弓さんがナレーションから少年から老婆まで一人八役をこなすストーリーアルバムで、合間に6曲田中真弓さんの歌が入っているというもの。
実は、良くないことなんだけれども、某動画サイトでこれのフルが上がっているのをみつけて聞いてみたら、非常に気に入ったので購入した次第であります。買ったから良いよね!
田中真弓さんは非常に歌が上手い。声優界でも指折りの歌唱力だと思う。サクラ大戦なんかでは伸びやかな力強い声の印象が強いけど、このアルバムでは優しい高音も聴くことが出来る。あと、楽曲のクオリティも結構高い。特にED曲は90年代のシティポップス的なサウンドと無難なコード進行と無難なメロディで(アニソンっぽいとも言う)僕の好みだった。
まあ、中古しか売ってないし、レンタルもおそらくないので、是非聴いてみて!とは言えないけど、田中真弓さんをワンピースのルフィ程度にしか認知してない人にはこんなことも出来るすごい人なのだよ、と覚えていてもらいたいところ。

ワンピースと言えば、先日地元のショッピングモールに来たダニーこときただにひろしさんのミニライブを見た。
何年も前のライブ映像から見てたけど、年齢が上がってもどんどん声が出るようになってる…すごい。
歌ってる最中に二階にいる少年に「DSやってる場合じゃないぞ!」とか言ったり、「今44歳なんですけど」って言ったら周りの奥様方がざわついたり笑えるシーンもあった。かっこよかった。  

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