福島聡作品の一貫性を探そう

2013年02月06日 23:57
今日の所持漫画紹介
高野文子先生の既刊全6巻です。高野文子先生を昔から読んでいて好きだという人がいたら是非お話しを聞きたいです。あと、単行本未収録の作品もどうにか読みたいので、何か情報下さい。




とりあえず敬語で書くのはメンドクサイからやめよう。
ツイッタ—も始めたときは敬語だったんだそういえば。

福島聡先生の漫画を読んでいると、個人的には大好きな作家なのだけど、描くキャラクターにあんまり一貫性がないのが特徴だと感じる。久しぶりに登場した人物が見た目も違えば性格も違う、ほとんど別人になっているというようなことはよくある。「福神」でもこのキャラこんな人だったかなと感じることはあったし、どんどん時が進む「ニーナ」ではさらにそれが顕著に見える。人なんてそんなものだという福島先生の意識からなのか、状況を描くためにキャラクターが存在するという描き方なのか、あるいは描いてる間に見失ってしまうだけなのか、それはまあ今の段階ではよくわからないけど、キャラクターの人格そのものに重きを置いてないということはわかる。(ニーナさんには確固たるものがあると思うけど)

福島先生の作家像としては、何を描きたくてやっているのかというテーマみたいなものも見えにくい。例えば森薫先生だったらメイドさん描きたいやら、絨毯描きたいやら、フェチ全開で非常にわかりやすい。もちろん福島先生もインタビューでこんなのが描きたいんだよって話してはいる。「少年少女」の時だったらジュブナイルを描きたかったけど、「生と死」がテーマになっていったということ、「星屑ニーナ」はアラレちゃんみたいな楽しい漫画にしたいということ。その辺はインタビューで知ることが出来る。
だから、福島聡先生の漫画において「生と死」は最重要ワードだと思っていた、ところが最近それが打ち破られたような気がした。というのも、「星屑ニーナ」は「ロボットは歳を取らないが、人間はあっという間に老いていく」というのが売り文句の一つで、つまり人は死んでしまうけれど、取り残されたロボットは主人を探すみたいなところで、まあこの作品もある意味「生と死」なんじゃないかなと納得していた。
※以下ネタバレ
しかし、最新第3巻でタイムスリップして過去に戻ってしまったじゃあないか!タイムスキップコメディーという言葉の真意を見た。バックステップも軽やかであると。
もちろんこの展開に文句があるわけじゃなく、それをやってしまうかやられたーという気分なんだけど、これでは「ニーナ」は「生と死」じゃなくなってしまう。うーん考え直さねばということなのです。つづく

長くなりそうだからこの辺で、多分次こそ福神と福島聡先生の演劇経験の話しです




タグ :漫画福島聡

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