『ドミトリーともきんす』発売記念。「高野文子-八百万の視線-」

2014年12月29日 19:22
このブログのタイトルが「マはマンガのマ」なのはなぜか?ブログ始めた頃はマンガのことでなんか語りたかったからだ。見返すと今年の記事は作画の話ばっかりだなあ。
ということでマンガの記事をたまには投稿しようと。そこで、先日発売された『ドミトリーともきんす』だ。当然マトグロッソの連載は毎回読んでたし、発売日にちゃんと購入したし、1冊はサイン入りで「おいしい梨」って書いてある。でも、新しく感想を書くのはめんどくさいから、以前に書いた高野文子先生に関する原稿晒すだけ。某サークルの夏コミ新刊に寄稿したやつ丸上げ。約12000字。

1.はじめに
 マンガはなんのために読むのだろうか。物語の中の冒険や、甘い恋愛に没頭し、浮世から逃避するためか。あるいは、豪快な線の走る絵の迫力、緻密に書き込まれた絵の美しさを、芸術として鑑賞するためだろうか。マンガ家高野文子(以下:高野)は「本を読むってことは、馬鹿を治すために読むものだと思っているところがあるんですよ」[2]と語る。もちろん、この「本」という言葉の中にマンガも含めた文脈で語られた言葉だ。つまり高野は、自身の描くマンガを読んだ者の「馬鹿を治す」ように、マンガを描いているのだ。それでは高野が媒体としてマンガを選んだのは何故だろうか。マンガにしか出来ないことがあるからだ。それでは「マンガにしか出来ないこと」とは何か……
 いきなり風呂敷を広げたが、それだけ高野の使っている技術は本質的なのだ。画面構成力、コマ割り、見えているものをそのままマンガに描き出すという点において、指折りのマンガ家と言われてきたほどだ。本稿ではそれを示す言葉をまとめて高野のマンガ的「視線」の技法と呼ばせてもらおう。それを分析することはマンガの読み方、マンガのあり様、それ自体を解体する根本的な作業となる。なぜならマンガとは「コマを構成単位とする物語進行のある絵」(呉、1997)であり、ほぼ完全に「視覚」に依存した媒体だからである。高野文子はその特性を極めて高度に生かし、コントロールしている。そんな高野の「視線」について語られてきた論説を4つに分解し、そしてそれらを一つに結び合わせること、さらに言えば、論者によってそれぞれ微妙にニュアンスの変わっている呼び方に、一つの名前を付けることが本稿の目的である。

2.漫画家高野文子の登場
 さて、高野が登場したマンガ史的背景を確認しよう。1960年代以降マンガ界は「少年マンガ」「少女マンガ」「青年マンガ」「エロ劇画」など、それぞれの領域に完全に分類されていたと言って良い。特に1970年代初頭までは、ほとんどの場合、女性マンガ家の発表の場は少女向け雑誌に限定されていた。しかし、1970年代後半、所謂「花の24年組 」(注1)に代表されるように、少女マンガは文学的に、幻想的に、SFや、少年愛など、それまでの少女マンガにはあまり持ち込まれなかった高度なテーマを語るようになった。これは少女マンガという形態が確立され、物語の場としての土台が固まったからだと言えるだろう。そこから、少女マンガは少女以外にも読まれるようになり、少女マンガ家達は少年誌や青年誌にも活動を広げていったのだ。  
 当然、こうした過程の以前に、少女向け以外の場で描いていた女性マンガ家がいなかったわけではない。1960年代、『ガロ』(注2)にはつりたにくにこ、『COM』(注3)には岡田史子がいた。マニアック誌で描いていたこの二人の存在が、その後の女性マンガ家、ひいては高野が活躍する土壌となったことは間違いない。また、1975年開催のコミックマーケットを中心とした同人誌活動も無視出来ないだろう。高野自身、同人誌出身の漫画家であることは有名だ。商業誌だけでなく、マンガを発表することの出来る場が増えていったことは漫画家の作家性の強まりにも繋がっている。
 このように高野の登場する70年代後半頃には、既成のジャンルを越えようとする環境が整い始めていた。また、商業的な需要とは関係なく一人の作家として、マンガという媒体を用いて語りたいものを語るということが許容されるようになっていた。高野はその表現の独立性から、突然変異的に見えることもあるが、その土壌にはジャンルを跨いだ女性マンガ家の活躍、作家性の許容という環境が出来始めていたことは確認する必要がある。そして、ジャンルの壁を融解し、マンガにさらなる多様性をもたらす潮流の象徴、表現の革新をもたらしたマンガ家達を総称して「ニュー・ウェーブ」と呼ぶ。こうした波の中で大友克洋(以下:大友)や高野などが発見され、その挑戦がマンガに豊かな多様性をもたらした。

1.昭和24年前後に生まれた女性マンガ家の一群を指す呼称。萩尾望都、竹宮恵子、山岸凉子、大島弓子らが代表的。
2.1964年から2002年まで青林堂が刊行していた漫画雑誌。商業性よりも作家性を重視し、マニア層に支持された。
3.1967年から1973年まで発刊された漫画雑誌。「まんがエリートのためのまんが専門誌」として手塚治虫によって作られた。作家性の強さ、新人発掘の場として、漫画雑誌『ガロ』と双璧をなしていた。


3.「ニュー・ウェーブ」補足
 本稿で取り扱う「ニュー・ウェーブ」とは、1970年代後半から1980年代前半にかけてのマンガ界隈にあったムーブメントを示す言葉である。この言葉を1970年代当時から積極的に使ってきた村上知彦によると、大友、高野等 が「ニュー・ウェーブ作家」(注4)であるとされている。しかし、彼らのマンガを読んでみればわかることだが、ひとくくりに出来るような共通点を持つわけではない。あえて言うのであれば、ひとくくりに出来ないから、「ニュー・ウェーブ」という言葉によってひとくくりにされた存在であろうか。要するに、厳密な定義を持たないのだ。さらに、前章では「マンガ家達を総称して」と記したが、これも一面的な見方に過ぎない。実は、マンガ家以外の存在も「ニュー・ウェーブ」を構成する要素と言えるのだ。
 マンガを描く/マンガを読む/マンガについて語るという自意識の問題もありました。大体70年代の半ばから後半ぐらいに、マンガを描く/語る/論じるという場ができあがっていくじゃないですか。マンガを語る言説があるていど可視化されないと、ニューウェーブのような表現は出てこないわけですよ。([4],p82)
 つまり、マンガ表現が語られ、共有されていくことで、それらに自覚的な表現が使われ始めると言うのである。確かに、70年代中盤に漫画批評活動が盛んになり始め、それから数年後にニュー・ウェーブ作家達が次々と登場したという事実はある。例えば、亜庭じゅん、米澤嘉博らによるマンガ批評活動、コミックマーケットの開催は1975年前後から始まっている。また、先述した村上知彦がマンガ評論を始めたのもこの時期である。それから4年経つと、1979年には大友(注5)の初単行本『ショートピース』が刊行され、『月刊コミックアゲイン』や『マンガ奇想天外』(注6)に大友の作品が掲載されるようになった。高野の商業誌デビューも同年である。このように、マンガを語ろうとする、積極的な読者の登場は、ニュー・ウェーブの登場の土壌となっていたと見ることが出来る。ここで、注意しておきたいのは、マンガが批評され、マンガ家がそれを参照して新しい表現を模索したと決めつけている訳ではないということだ。あくまでも、マンガ表現というものが共有され始めた時代に、それに自覚的なマンガ家が登場したという事実を述べているに過ぎない。
 また、同人誌による創作活動によって、読者もマンガを描き、それを誰かに読んでもらえる存在となった。つまり、それまで分断されていたマンガ家と読者との距離は一気に接近したのである。これもやはり、積極的な読者の登場と言えるだろう。そこから高野文子のように、職業マンガ家になる者も数多く現れた。加えて、二次創作マンガで描かれるパロディや表現の模倣は、マンガの描かれ方を批評することにも繋がっていた。
 マンガを描くこと、読むこと、語ることは相互に影響を与え合った。マンガが描かれ、それを模倣したり、パロディしたりする同人誌活動があり、それらを批評する活動があった。「ニュー・ウェーブ」とはそんな時代を象徴する言葉である。その時、「ニュー・ウェーブ作家」高野の態度はどのようなものであっただろうか。荒俣宏は1982年にこんなことを記している。
 高野文子はそうした実験をするためにだけ―そうした遊戯をしてみるためにだけ、たぶん作品を描くのである。([5],p287)
 高野はマンガ表現の実験者として登場した。そして、高野が実験対象として見出していたのは「視線」のあり方であったということをこれから明らかにしたい。高野は積極的読者がいるのであれば、その「視線」もコントロールしようとしていたのだ。

4.他にさべあのま、いしいひさいち、ひさうちみちお、宮西計三、柴本ふみ、いしかわじゅん、高橋葉介、ますむらひろし、川崎ゆきお、諸星大二郎、湯田信子を挙げている。
5.大友の商業誌デビュー自体は1973年である。
6.ともに1980年前後に刊行された雑誌。マンガ作品の掲載と同時に、批評活動にも力を入れていた。『月刊コミックアゲイン』には、1979年に村上知彦によるニュー・ウェーブに関する論文が掲載されたこともある。


3.視線① 「読者の視線」
 高野はデビュー当時、林静一の影響からくる叙情画的な絵で、少女趣味的なマンガ家の一人かと思われた。しかし、その整然としたコマ割り、巧みな画面構成により、他の女性マンガ家とは一線を画す存在となっていった。ここで言う、「整然としたコマ割り」とは、荒俣宏がそれまでの形式化された少女マンガと比較して高野文子を評した言葉である。どういうことか見ていこう。【図1】は高野自身が影響を受けたと語る萩尾望都の『ポーの一族』(1972-1976)である。


【図1】萩尾望都『ポーの一族』

 1970年代の少女マンガは図のように、より重厚な心理描写を求めて心身の混ざり合った画面を作り出した。コマの枠線等もあえて無視し、ページいっぱいに美少年・美少女達が悩み苦しみ、舞い踊るような姿、ヒステリックな画面を描くことを得意としたのだ。これに対して、高野はキャラクター造形に少女マンガの面影を残すが、コマの枠線を貫くような派手な演出を排除した。むしろコマと、その連続性によって語るということを最大限に生かす技術を持っていたのだ。コマを使った画面構成、そして視線誘導の巧みさは並び立つ者がいないとさえ言われる。
 高野文子は寡作なので、一部のファンにしか知られていない。が、間違いなく日本で有数のマンガ家である。とくに画面構成のうまさはちょっと類いがないくらいだ。
 絵の持つ奥行き感を最大限に活かし、コマを覗き込む読者視線を自在にひきこみ、あたかも階段を不安定に覗くような不安を与えたり、すごく遠い距離から虫メガネほどの距離感まで近づいてゆく力動感をコマ構成で生み出したり、魔法のような視線誘導手法を駆使する。([6],73p)
 ここで述べられているシーンを実際に見ていこう。『田辺のつる』(『絶対安全剃刀』収録、1980年)では、【図2】の2コマ目で、廊下をコマの枠線とは平行にならない斜めの線で描写している。次のコマでは逆方向に斜めになっており、それを上から覗くような形になっている。このようなグラグラとした視線で、階段を幼女(実は老婆なのだが、後述)が危なっかしく降りる不安感を表現している。


【図2】『田辺のつる』(3コマ目の歪みはスキャナの都合。以降の画像も同様。)

 「すごく遠い距離から、虫メガネほどの距離感」とは、例えば『美しき町』(『棒がいっぽん』収録、1987年)で見ることが出来る。この作品は人物を遠くからの俯瞰で示した後に、その足下の草にクローズアップする【図3】等、視線が遠くから近くまで往来する描写が頻出している。


【図3】『美しき町』

 『黄色い本』(2002年)にも読み方をコントロールする技術を見ることが出来る。例えば、【図4】では3コマ目で主人公に寄ったあと、視線を切り返して窓の照り返しの構図に繋げている。


【図4】『黄色い本』

4コマ目はその絵だけでは、何が起こっているのか判別が難しい。しかし、2コマ目に4コマ目に裏返って映し出される光景を示したあと、主人公のアップによって主人公の視線方向への切り返しを暗示していることで成立させている。
 このように、高野はマンガを読むものの「視線」を意識し、コマ割り、画面構成によってどのようにマンガが読まれるかコントロールする。その技術によって、マンガの外にある「視線」、「読者の視線」を中に入れ込むのだ。

4.視点② 「三人称視点(カメラ)」
 止まった画の連続であるマンガは、ストーリーを語るために「動き」を獲得しようとしてきた。その挑戦の過程を見ることは、マンガ表現史の一つの根幹、主戦場とも言える。そこで特に注目すべきは、「動き」を獲得するための一つの方法として、映画の文法をなぞる、映画の真似事をするという手段がとられたことだ。なぜ、映画の真似事によって「動き」を獲得出来るのか。それは、読者の実写映像の記憶に依存して、動きを補完させる効果が期待出来るからである。
 マンガ読者は意識せずとも動きを補完して読んでいる。優れたマンガ家はそれを利用し、コマの連続性と、カメラワーク、そして動きの省略によって時には動画以上のスピード感を表現することも出来る。【図5】は動きの省略によってスピード感を出している例として紹介されることが多い。1コマ目で振りかぶるポーズを描き、次のコマでは殴った拳や軌道すらも描かないことで読者に動きを補完させている。


【図5】大友克洋『AKIRA』(1984-93)

 ところで、マンガにおける映画的表現の契機は1950年代辺りであると考えられている。要するに、手塚治虫(以下:手塚)である。高野の技法を語る前に、少しだけ前提となる歴史を踏まえておきたい。
 手塚がストーリーマンガの確立に一役買っており、またストーリーマンガを描くために、マンガに映画の文法を持ち込んだと論じられることは多い。その論拠となる作品が『新宝島』(1947)である。それまでのマンガは、【図6】のように平面的で奥行きが少ない、舞台劇のような画の上にキャラクターが存在するというものであった。


【図6】田河水泡『のらくろ』(1931)

『新宝島』が斬新であったのは、キャラクターを中心にした画から離れ、ロングショットや、クローズアップ、視点の切り替えを織り交ぜて、奥行きのあるマンガを描いたことである。例として、【図7】を見てもらいたい。奥から走ってくる車が、どんどんと近づいて顔のアップになっている。


【図7】手塚治虫/酒井七馬『新宝島』

 このように、画面内の奥と手前を行き来する運動によって、奥行きが表現されるようになったのだ。ただし、マンガのあらゆる分野に存在する手塚起源説的な論調は現在を以てして支配的であるが、『新宝島』における酒井七馬の貢献度の問題や、そもそも映画的手法自体『スピード太郎』(1930-1934)という前例が存在するため、ここでは、手塚も映画的手法獲得の流れの中の重要なピースである程度の認識にとどめておこう。重要なのは、高野が同じように技術の成熟に貢献しているということだ。
 さて、時代は進み、1980年頃、大友が手塚の記号的マンガの手法を解体し、同時に映画的手法をさらに押し進めた。大友は緻密な描線によって、建物を細部まで描き込んだロングショットを好んで用いている。これにより、登場人物に必要以上に感情移入させず、客観的な画面を作り上げた。このような映画的カメラワークの導入によって、マンガは多彩な物語を支える強度を獲得したと言える。また、高野文子も、1980年代に映画的技法を取り入れていることがわかる。例えば先述した『田辺のつる』の続きである【図8】のコマでは、前後のパースが強調され、歪んでいることから、描く上で広角レンズ の意識を持っていることがわかる。


【図8】『田辺のつる』

 これによって階段を下りる幼女(実は老婆、後述)の不安定さが表れている。他の作品においても、同じような効果を期待して広角レンズ(注7)的な表現が用いられている箇所が見られるのでいくつか紹介しておこう。
 『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』(1987年)は映画的であることを徹底している。高野本人が「アガサ・クリスティの『トミーとタペンス』というシリーズとヒッチコックの1950年くらいの映画がおもしろかったもんだから、それにしました。」([7],p31)と語っている通り、作品内容としても、他の高野作品と比べると珍しい、サスペンス要素やアクションの多いものになっている。それぞれのシーン毎に見ていこう。【図9】はレンズを通した歪みによって、「こわいわ」と言う台詞通りの不安感を表している。


【図9】『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』

 【図10】は黒幕との対面のシーンであるが、主人公は状況を把握しておらず、Ⅱコマ目で安心して微笑む。それとは対照的に、広角レンズを通して異様にパースの強調された身体によって、これから主人公に訪れるピンチの示唆、落ち着かない雰囲気を出している。


【図10】『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』

 『私の知ってるあの子のこと』(『棒がいっぽん』収録、1992年)は、【図11】のようにほぼ全編アップ無しの俯瞰によって描かれ、一見優等生な少女の、本当は屈折した独白を読んでいくことで、心の中を覗き込んでいるかのような感覚を与えている。


【図11】『私の知ってるあの子のこと』

 このように、あたかも演出意図を持ってカメラで撮っているかのような描写が存在する。三人称視点を通して、場に客観性を持たせ、同時に心理的効果も促す。映画的な意識を感じ取ることが出来るだろう。こういった表現がマンガ自体の文法として染み付いた現在、無意識に、特に理由なくこの効果を用いる漫画家もいるが、高野は意識的に使っている。注意しておきたいのは、こういった表現自体は特異なものではなく、高野がこの先で獲得した更なる視座の一部分に過ぎないということだ。高野の作品を映像的に捉え過ぎることは、その創造性を矮小化させることであると言っても過言ではない。それは、高野のマンガが、カメラで映し出せない世界に入りこんでいったからだ。

7.画角が広く、焦点距離が短いレンズ。遠近感の強調や、被写体の形が湾曲するという特徴を持つ。

5.視線③ 「一人称視点」
 さて、手塚が持ち込んだ映画的手法、その一貫として「同一化技法」がある。これは、竹内オサムが『手塚マンガにおける映画的手法―同一化技法について―』で提唱した用語で、作中の登場人物の視点と、読者(映画でいうカメラ)の視点を重ねることで、読者に登場人物への感情移入を促す技法を指す。つまり、映画用語で言うところの「主観ショット」の導入である。例えば、『火の鳥』を見てみよう。【図12】では火の鳥を追いかける人物が3コマ目まで描かれ、4コマ目でその視線と一致していることがわかる。


【図12】手塚治虫『火の鳥』

 高野の、特に中期の作品においては「主観ショット」が積極的に用いられている。一度登場人物の視線の動きを示してから、その見えている光景を示すという教科書通りの主観ショットは随所に見られる。例えば【図13】は黒幕との対面のシーン、気配を感じて振り返ると、銃を構えた手下がいる。


【図13】『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』

 この作品がヒッチコック作品等の影響を受けて描かれていることは前章で引用した通りである。このような主観ショットはまさに、ヒッチコックを始めとするサスペンスやホラー作品で頻繁に使われるものだ。しかし、高野文子はそのような映画の文法から逸脱し、さらに強力に登場人物の視線(主観)に、その心の中に近づいていこうとしていた。
 『田辺のつる』【図14】は、初期の傑作であり、おそらく全ての高野文子を語ろうとしてきた人が取り上げる代表作である。この作品が斬新だったのは、ボケてしまった老婆を退行した意識である幼女の姿として描いているということだ。


【図14】『田辺のつる』

つまり、読者は自分のことを幼女だと思い込んでいる「つる(82才)」の、妄想的世界からの視点で物語を追うことになる。
 それ以前にも、子猫の姿を少女として描いた大島弓子による『綿の国星』(1978年)があるということは、ほぼセットで語られているが、『田辺のつる』はそれが老婆という点や、淡々とした描写によって、どこか残酷にさえ見えるのだ。
 高野文子は画的な意味合いでの主観を越え、登場人物が見ている、認識している世界を描写する。『病気になったトモコさん』(『棒がいっぽん』収録、1987年)は、ほぼ全編一人称視点で描かれる。入院している小学生のトモコさんが、退屈しのぎに周囲を観察し、その中で連想することなど、全てのコマがトモコさんの見ている、頭の中で処理している光景そのままで描かれている。
 『バスで四時に』(『棒がいっぽん』収録、1991年)でも同様に、連想ゲーム的に記憶や妄想、現実と往来する人間の思考を表現している。【図15】はそれが顕著なシーンだ。バスに乗り何処かへ向かうマチコは非常に緊張しており、そこに辿り着きたくないと願っている。バスの中でやることがないマチコは、シュークリームの箱に目を移し、その中に何個入っているか透視(記憶によって)する。それが何個ずつ配分出来るか考えているうちに、前の座席のネジに目が行き、それを回すのにどのくらいの力が必要か考え始める。その連想が膨らんで大きな機械が表れ、それがなぜかファスナーになる。


【図15】『バスで四時に』

誰にでも思い当たるような白昼夢的連想ゲームをマンガでそのまま描いてしまっているのだ。こういった普段見過ごされがちな人間の思考にスポットライトを当てている作品は、当時新しかったどころか現在でもあまり見られない。もちろん、それを描くことの出来ることを示す単なる技量自慢ではなく、それによって目的地に向かうことから逃避しようとする気持ちが表されていることは言うまでもない。
 『るきさん』(1993年)では、「ラッパを持っているように見えたら実はじょうろだった」のような「あるあるネタ」的な発想で日常の中に潜む「視線」を切り取っている。
 『黄色い本』(1999年)では、少女の読む本の文字、それにまつわる少女の思考、あらゆる視線を使って少女の「没入」を描いている。少女の目にしている活字をコマに大きく描き出し、文字を目で追う感覚を追体験する。


【図16】『黄色い本』

内容に入り込むあまり、物語の中に入った自分の妄想にとらわれ、登場人物と対話する。あるいはその逆で登場人物が現実生活の中にまで浸食する。


【図17】『黄色い本』

 このような高野文子の技法を呉智英は「見えているものをそのまま表現することの出来る唯一の漫画家」[8]と評している。高野の技法、二つ目は登場人物の「視線」である。それも単純に瞳に映るものの記述ではない。そこから連想されるもの(物理的にはあり得なくとも)本人にはそのように見えているものまで含めて、高野文子は描いてしまうのだ。

7.視点④「あらゆる方向の視線へ」
 高野文子の「視線」は映像になれた我々の目を逆手にとり、大きなカメラでは入ることの出来ない領域、映画によって語られていない、映像によって体験したことのない視点へと広がっていく。それを斎藤環は「蚊の視点」[2]、南信長は「浮遊する視点」[9]と呼ぶ。どのようなものか見ていこう。
 『東京コロボックル』(『棒がいっぽん』収録、1993年)は、人間生活の片隅に住まう小人コロボックルの日常を描いている。高野自身「もぐるために自分が小さくなれば良いんだと気づいた」と語るように、小さな生き物の視線を獲得したことで、それまで描かれなかった角度から人間の生活を描写することに成功している。


【図18】『東京コロボックル』

 『奥村さんのお茄子』(『棒がいっぽん』収録、1994年)は一風変わったSFのような作品である。人間型に整形した生物が、先輩を救うために、「奥村フクオさんが1968年6月6日のお昼に何を食べたか」を探るという奇妙なストーリーで、発表当時から様々な解釈が飛び交う作品である。奥村さんに迫る謎の生物は自分を土鍋だと言い、救うべき先輩はしょうゆ差しだと言い、うどん型のビデオテープで6月6日の映像を再生する。
 この作品は単なる日常の動作を、かなり奇妙なアングルで描写する。例えば【図19】は、箸箱から箸をとる場面を箸の間近から捉えている。その箸の向こうに見える人物まで見えているのは良いが、どこから見た誰の視点なのか、疑問が沸かずにはいられない。先輩がしょうゆ差しであることを考えると、食卓にある他の食器等も、彼を見ていたのではないかと。


【図19】『奥村さんのお茄子』

 これらを踏まえた上で、ストーリーにあまり関係なく挿入される電化製品や、ちょっとした道端のゴミ、虫達を見ると、そこにこちらを見ている視線が存在するのではないかという感覚が沸いてくる。


【図20】『奥村さんのお茄子』

このような奇妙な「視線」の示唆を通して、「あの三秒間 自分以外の誰かを見てその誰かについて考える うどん三センチ分 ここんとこ ここんとこに あの六人がいて 一瞬一秒同時にそれやったら 奥村さんもきっとあそこで お茄子食べてたことになります」(『奥村さんのお茄子』p193)という台詞の通り、本人ですら覚えていない、覚えておく必要すら感じない些細な瞬間が、多くの命の一瞬が詰まった価値あるものとして浮かび上がってくる。高野はあらゆる事物からの視線を感じさせるような描写を手に入れた。そして、それらが見つめる先にあるのは何ということもない、日常なのだ。

6.些細な日常の描写
 『黄色い本』では、【図21】のようにあえてキャラクターの動きや、会話の主体からアングルを逸らしたコマが見られる。会話の中で、別の人物が入ってきた時にそちらに視線が行ったり、誰の顔も捉えていないコマも見られたりする。


【図21】『黄色い本』

 ここから高野は、登場人物がどのような行動をとるか、どんな感情を表現しているかということよりも、畳とちゃぶ台のある家、「そこに日常がある」ということに価値を見出して描いていることがわかる。そもそも、『黄色い本』では主人公の顔すら目鼻がついているだけの非常に素っ気ないデザインになっている。高野自身が、それを読者の視線をキャラクターに集中させないためだとしている。つまり、高野はキャラクターを描くために、あるいは、何かドラマティックな一場面を描くために作品を描いているわけではないのだ。高野は世界の中の、ある些細な空間を、時間を、ちょっとだけ切り取って見ている。夏目が「非現実的浮遊感、日常生活の価値や不安」を描き出していると指摘する通りである。
 高野の「視線」が見つめているものは、常に些細な日常である。普段の生活でいつも目にするはずが、忘れてしまいがちな視線がそこにはある。ノスタルジックな団地の生活を遠近の落差を用いながら描く、『美しき町』、入院した少女のちょっとした戯れを彼女の視点そのままに描く『病気になったトモコさん』、『チボー家の人々』を読みながら、何をするにもそれについて思いめぐらしている少女を描く『黄色い本』等、何かドラマがあるわけでもない日常を、そこにある何かの「視線」を通じて見ている。

9.まとめ:八百万の視線
 高野文子は読者の、カメラの、登場人物の、あるいはあらゆる事物の、視線と共にあり、コントロールする。マンガの内外全て、あらゆるものに視線が宿っている。まるで八百万の神様達が見ているかのように。映画や小説で、登場人物以外の視点で場面を描くとき、「神の視点」と呼ばれることがあるが、それとも少し違う。「神の視点」はある場面を説明するため、ナレーション等を入れつつ描写した時に起き上がってくる。つまり、作品成立のために存在する視点である。単なる「神の視点」ならば、あえて奇妙なアングルで描写する必要は無いだろう。しかし、高野は何かしらのドラマのために「視線」を用意しているわけではない。高野はどこかを見つめている「視線」それ自体を捉えているのだ。ある時は老婆の退行した意識に入り、ある時は虫のように浮遊して近づき、ある時は部屋の中にある食器や電化製品のようにそこに留まり、ある時は読書に没頭する少女に寄り添い、またある時は遠く高い場所から見つめている。高野は八百万の神様の「視線」で些細な日常の事柄を微細に見つめることで、そこに日常生活の価値と不安定さを見出している。その「視線」への気づきこそ高野文子作品全体を流れるテーマである。あなたのふとした日常を見直してみないかと。始めの問いに戻ろう。マンガはなんのために読むのだろうか。マンガだからこそ可能である、八百万の視線に気づくためである。



参考文献・資料
[1]高野文子全既刊と一部単行本未収録作品、1983-2014年
[2]「ユリイカ 詩と批評 特集*高野文子」2002年7月号、青土社
[3]呉智英、『現代マンガの全体像』、双葉社、1997年
[4]「伊藤剛インタビュー『新しい』の変容を探る描線-『ニューウェーブ・オブ・ニューウェーブ』とはなにか」、「マンガルカ vol.2」、2013年
[5]荒俣宏、「高野文子とコマ切れのページ」、『漫画と人生』、集英社、1982年
[6]夏目房之介、『マンガの力 成熟する戦後マンガ』、晶文社、1999年
[7]おしぐちたかし編、『おしぐちたかしインタビュー集 漫画魂』、白夜書房、2003年
[8] 呉智英、『マンガ狂につける薬 下学上達編』、メディアファクトリー、2007年
[9]『BSマンガ夜話 ニューウェーブセレクション』、カンゼン、2004年
[10]『手塚治虫文化賞10周年記念 AERA COMIC ニッポンのマンガ』朝日新聞社、2006年
[11] 南信長、『現代マンガの冒険者たち 大友克洋からオノ・ナツメまで』、NTT出版、2008年
  

作画語ってみた。「ざわめきを作画する」

2014年12月27日 22:11
某サークルの冬コミ新刊に寄稿した原稿。
どうせ秋頃たくさん無料で配布してるし、僕の原稿がブログに載ってるからってなんか売り上げとかに影響する訳でもなし。このサークルともとりあえずは今年でサヨナラなので、昔の原稿もぼちぼち上げていこうかなと。
「作画語りてえ」から何ヶ月か経って、作画を真面目に語ってみようと頑張ったもの。タイトルの通り「作画語ってみた」という感じ。キーワードは「WÉB系」、「フル3コマ」、「タイムライン系」辺り。アニメ批評ってものが全然作画を語ろうとしないのにも不満があったのでそんなことにも触れてみた。文字数は17000程度あるので、さあ読めって言われても無理ですよねって感じがするけど。

第1章:はじめに
 アニメ批評は、いつまでキャラクターと向き合わなければならないのだろう。いつまでアニメを「読んで」いるのだろう。大塚英志は「まんが」と「アニメ」を区別すらしなかった。東浩紀やそれに追従した多くの批評も記号や言葉尻を追い、アニメを「観て」はいなかった。アニメが真に語られるために、アニメは記号やキャラクターから一度解放されなければいけない。なぜなら、アニメをアニメ足らしめているのは「絵が動いている」ということだけだからだ。我々はアニメを語る時、物語と同時にその「動き」に目を向けなければならない。
 WEB系と呼ばれるアニメーター達がいる。彼らはネット時代を象徴するように、それまでにはない新しい作画への思想と態度を持って2000年代中盤から登場した。彼らはキャラクターの身体も奔放に崩し、とにかくアニメで動かすことを喜んでいた。しかし、今、そのような姿勢は時代に逆行している。いや、時代に淘汰されようとしていると言っても良い。アニメーターの動かしたいという思いと、今の日本のアニメ視聴者が求めていることとは食い違ってしまっているのだ。なぜなら日本のアニメが、キャラクターを見せるためのものとして成長してきたからだ。勿論、日本のアニメも「動き」を喜ぶ作り手と視聴者がいて、様々な「動き」を手に入れようとしてきた。そして、それに憧れて現れたWEB系は、その作画に独特の「ざわめき」を持っていた。しかし、その「ざわめき」は時にキャラクターを邪魔するノイズとして拒絶される。こうして「動き」を見ることが出来なくなった、あるいは「ざわめき」を受け取ることの出来ないアニメ視聴者の存在が浮き彫りになったのである。よって本稿は「キャラクター商品としてのアニメ、またその視聴者」と、「動きを見せる媒体としてのアニメ、またその作り手」という対立軸を設定し、アニメを描く者が「動き」に純化していくことへの擁護を目的とする。

第2章:前提としている作画史概観
 この章では、本稿で前提としている作画史観を記述する。尚、作画史を体系的に記した論文は存在しないため、既にある様々なアニメ史と、インタビュー等から読むことの出来るアニメーターの証言を元にしている。また、多くの人名が記されているが、本論に深く関わりのある人物のみ、脚注で紹介することとする。
 日本のTVアニメは「動かないキャラクター映像」として始まった。『鉄腕アトム』(1963)である。手塚治虫は一週間に一話放映するアニメの制作費と作業時間を減らすために、とにかく動画枚数を減らし、止め絵でなんとか時間を繋ごうとした。こういった「動かさないアニメ」はリミテッドアニメーション(5章脚注参照)と呼ばれ、現在まで日本のTVアニメほぼ全てを貫いているアニメの作り方だ。しかし、日本のアニメが「動き」を放棄していた訳ではない。国産初の長編アニメーション『白蛇伝』(1958)を作った東映動画は、東洋のディズニーとなることを目指し、フルアニメーション(5章脚注参照)で動かすことに信念を持っていた。そこでは宮崎駿や芝山努などの後の大監督や、大塚康生がアニメーターとして活躍しており、彼らが作り出す「動き」は決してディズニーに引けを取る物ではなかった。高畑勲の事実上初監督作品でもある『太陽の王子ホルスの冒険』(1967)はその集大成として見ることが出来る。
 日本のリミテッドアニメーションは60年代後半に入ると、劇画の流行に乗り、止め絵に大量の線を描き込むことで迫力のあるアニメを作るようになった。そこで『巨人の星』(1968)や『アタックNO.1』(1968)、『タイガーマスク』(1969)等の名作が生まれ、さらにリミテッドの方法論を発明し、駆使する出崎統等の大監督が活躍するようになった。
 1970年代には、日本のキャラクターアニメの地位を確固たるものにする、ある礎が築かれた。それが高畑勲・宮崎駿らによる『アルプスの少女ハイジ』(1974)である。この作品は、日本でいち早くキャラクターデザインという役職や、レイアウトシステム(注1)を導入し、シリーズ全体のクオリティを均質に保つことに成功した。そして、そこで養われた方法論・技術が、やがて世界中で愛される「ジブリ」へと実を結ぶことになるのである。
 一方で、1970年代後半には金田伊功が現れた。奇抜なパースやポーズで、少ない動画枚数でもダイナミックにアクションしているように見せるその作画は人気を博し、「金田フォロワー」とも呼ばれる金田の様式を模倣するアニメーターの一群を生み出した。1980年代には「金田フォロワー」による多数の「暴走作画」が見られ、時にはストーリー上の流れも無視するようなアクション過多な作画でマニアを喜ばせた。特に、山下将仁による『うる星やつら』での金田系作画は、本来「ラムちゃん」という人気ヒロインを擁する、キャラクター中心の作品(今で言う萌えアニメ)として見ていたマニアに、アニメの「動き」を知らしめることとなった。さらにこの時期は板野一郎の台頭も無視出来ない。板野による緻密なカメラワークと作画を組み合わせた縦横無尽のミサイルは「板野サーカス」と呼ばれた。そう、この時アニメはキャラクター以外にも主役を持つことが出来るようになっていたのである。むしろ「板野サーカス」に代表されるミサイルやメカ、それが飛び散る大爆発こそ、アニメーターの真価が発揮されるアニメの醍醐味ですらあった。
 1980年代中盤からはOVAの流行もあり、なかむらたかしを中心に、細部へのこだわりによって密度を高めるリアル志向が見られるようになった。そうして『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987)や『AKIRA』(1989)が生まれ、超高密度ながらもよく動く名作として、現在まで親しまれている。そのようなリアルな作画を支えるための理屈に沿った画面上の空間作りと、演出家による画面の効率的な管理を目的として、押井守が積極的にレイアウトシステムの導入を図った。これが現在のアニメ制作のスタンダードとなっている。そんな中、うつのみや理(脚注2)や磯光雄(脚注3)が、線や動画枚数の密度ではなく、質感や重量感を伝える真の意味でのリアルな「動き」を志向していった。うつのみや理による時間感覚を重視した作画は、アニメの「リアル」の基準を一変させたとまで言われている。また、磯が行った「フル3コマ」(5章参照)という作画方法は、その後登場する「動かしたがりアニメーター」が好んで用いる作画法として定着する。本論の中心となるWEB系がまさにそれだ。
 1990年代にはそれまでの様々な作画技術を受けてさらに実験的なアニメーターが台頭する。彼らの挑戦の結集として『THE八犬伝』(1990)、『THE 八犬伝 〜新章〜』(1993)が生まれ、大平晋也や湯浅政明、橋本晋司、田辺修等のキャラクターデザインを無視した極端な「動き」のリアリズムが伝説的作画となり、また批判の対象ともなった。一方で『クレヨンしんちゃん』(1992)は湯浅政明による挑戦的な作画が一般の視聴者にも受け入れられることを示した。
 1990年代後半から2000年代にかけて、日本のアニメは作画より後のセクション、仕上げや撮影処理などをデジタル制作に移行した。同時に、CGの導入等によりCGで作られたオブジェクトや背景と、手描きで描かれたキャラクターが同居する画面に立ち向かうこととなる。この時期からTVアニメ、特に深夜帯アニメの本数は一気に増え、乱造とも言える状態でスケジュールを圧迫し、その平均的な質を低下させていく。新たな環境で試行錯誤が繰り返される、まさに玉石混淆の状況となった。ここで一躍スターとなったのが松本憲生(注4)だ。松本は担当した回の原画を一人でほとんど描いてしまうような手の速さで高密度のアクションを描き、量と質の両方でTVアニメのクオリティを支えた。その「動き」は、うつのみや的なリアリズムを継承しながら、磯の「フル3コマ」も取り入れ、派手で見栄えのするアクションとなり、現在でも多くの若いアニメーターが模倣する対象となっている。
 同時に、ネットの発達により2ちゃんねる等のネット掲示板から、アニメ視聴者の声が見えるようになった。そしてまとめブログが現れ、その声を増幅し、一つの大きな声として発信していった。また、SNSの登場によってその傾向はさらに強まり、作り手と視聴者の距離は一層近づいた。その中で登場したのがWEB系であった。
 このように、90年代まで、日本の「動かないアニメ」は新たな才能の登場と実験を繰り返して「動き」においてガラパゴス的進化を遂げてきたのである。リミテッドな方法論があったからこそ、多様な「動き」を手に入れることが出来たとも言える。そして、時代毎の新しい「動き」は受け入れられてきた。と同時に、視聴者との食い違いは確実にあったはずである。それが顕著に見え始めたのが『THE 八犬伝』や、2000年代以降の「作画崩壊」(注5)という言葉だろう。時には「動き」を優先することが受け入れられてきたように見えたが、それ以上にキャラクターを映し出すものとしてのアニメが存在感を大きくしていたのである。WEB系を語る前に、現在のアニメ視聴者が求めているものを考えてみよう。


脚注
1.原画の前に、その設計図となるレイアウトを描き、それを元にアニメを作る体制のこと。高畑勲、宮崎駿らによる『アルプスの少女ハイジ』(1974)で初めて本格的に導入されたとされる。ちなみに、宮崎駿は『アルプスの少女ハイジ』で全話全カットのレイアウトを描いている。
2.1959年生のアニメーター。『御先祖様万々歳!』で行った様々な革新的作画は、アニメーターの間でセンセーションを巻き起こしたとされる。
3.1966年生のアニメーター。『MOBILE SUIT GUNDAM 0080 ポケットの中の戦争』1話で脚光を浴びる。『新世紀エヴァンゲリオン』13話脚本等、幅広く活躍。『電脳コイル』で初監督。
4.1980年代後半から活躍するアニメーター。『逮捕しちゃうぞ』39話で、多くの原画を一人で描き、そのクオリティの高さから注目された。『NARUTO』30話、133話で見せたアクションが特に有名。
5.作画のクオリティが著しく低い状態を指す言葉。『夜明け前より瑠璃色な〜Crescent Love〜』が有名。



第3章:CGと総作監制から
 現在のアニメ視聴者がアニメに要求しているものは何か。その結果を示す二つの事例を見ていこう。一つ目は総作画監督(以下:総作監)という存在だ。TVシリーズではここ10年の内に定着した比較的新しい役職(注6)だ。2014年現在のアニメ制作における作画作業の行程を踏まえつつ、総作監について説明しよう(尚、本稿はアニメ制作の入門書を目指す物ではないため、必要のない部分は省略する)。
 まず、脚本、絵コンテがあり、原画マンが絵コンテからさらに背景やカメラの画角、キャラクターの移動幅等も考慮しながら具体的にそのカットの設計図を描き起こす。これがレイアウトだ。このレイアウトを一度演出や作画監督(以下:作監)がチェックし、修正を加える。これを受けて原画マンが原画を描き、必要であればそこにも作監の修正が加えられる。作監の仕事は主にこの修正作業になる。特に作監に求められているのは、実力も様々な原画マン毎にバラつきの出る原画の水準を上げること、そしてキャラクターの絵柄に統一感を持たせるということだ。各話毎に作監がおり、その担当する回の統一感、クオリティを保つことが作監の仕事という訳だ。ここで登場するのが総作監である。各話の作画班、作監毎にバラつきの出るキャラクターに、シリーズ全体で統一感を持たせるため修正を行うのが総作監だ。そのため、キャラクターデザインをしたアニメーターが総作監となっている場合も多い。
 さて、近年のTVアニメのエンディングクレジットを見ていると、10年前と比べてある変化が起こっていることに気づく。それは原画マンや作監の多さ、役職の煩雑さだ。特にシリーズの終盤になると原画マンは第一原画、第二原画合計で30名を超え(下請けが会社単位でクレジットされているため実際の数はさらに多い)、作監が10名近く、作監補佐あるいは作監協力という役職も加わる。『魔法科高校の劣等生』(2014)においては「総総作画監督」まで現れてしまった。作監の役割は、一人または少ない人数で行うことで絵柄の統一感を保持することも重要であった。しかし、それを10名近く動員し、さらに間に合わないカットは手の空いている原画マンが作監補佐という形で修正作業に当たるのである。これでは絵柄の統一も何もない。それを最終的には総作監が修正することで現在のアニメはクオリティを保っている。また、総作監的立場のアニメーターを、特にキャラクターの修正に特化したキャラクター監修という役職に置く場合も見られる。
 このように、総作監は作画スタッフの中でも最も責任ある立場にあるため、特に優秀で信頼のおけるアニメーターが担当する場合が多い。つまり、優秀なアニメーター程、チェック作業や修正に追われることになるのだ。これが総作監制である。重点を置かれているのが、作品の画的なクオリティ維持、キャラクターの安定感であることはわかるだろう。また、あえて総作監を置かないことで、回毎のクリエイターの個性を優先した『スペース☆ダンディ』(2014)は逆説的にそのことの証左となっている。
 もう一つは3DCGモデルを使ったキャラクター表現の成功だ。これによって日本のアニメが一つの転換期を向かえているとさえ考えられる。キャラクター他、作品中の動く物体を全て、2Dアニメ風(セルルックとも呼ばれる)の処理を施した3DCGによって表現した『蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ-』(2013)のヒット、『ラブライブ!』(2013)や『アイカツ!』(2012-)等に見られるCGモデルを使ったダンスシーンの人気は象徴的だ。これまで、CGの制作費が高額だったこともあり、日本制作の3DCGキャラクターアニメがヒットした例は少なく、また手描きのアニメに慣れた視聴者にとって、3DCGのキャラクターは少なからず違和感を与える物であった。しかし、2Dアニメ風の処理によって、ようやく日本のアニメにおいても3DCGキャラクターへの蕁麻疹をなくすことが出来たようだ。特に、その商業的成功によって「CGに萌えることが出来る」ということが示されたのは大きい。この「萌えることの出来るCG」の安定感こそが求められているのだ。画期的な映像表現、高度な「動き」など無くて良い、それなりに可愛くて、それなりに動いていれば良い。そんな声が実際に存在すると証明することも容易いが、アニメーター小松田大全のインタビューを読むと、少なくともアニメの作り手は既にその声を受け取っているとわかる。

小松田: 見たこともないような、ものすごい画面をゼロから生み出す可能性は、CGよりも作画の方があると思うんです。(中略)一方で、平均点の75点をコンスタントに要求されるような普通のTVシリーズの場合、75点の画面を安定して生産できるのは、やっぱりCGだなと思いますね。
「アニメーター小松田大全が語る『蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ-』が革命したもの」『アニメスタイル005』より


 この二つからわかることはなにか。アニメ制作側が躍起になっていること、それはキャラクターの同一性、安定感を保つということだ。そしてこれを極端に言えば「作画崩壊」を防ぐということになるだろう。
 この「作画崩壊」という言葉が2000年代のアニメにはつきまとっていた。もちろん「作画崩壊」と言えるような状態はそれ以前の作品にも度々あった。しかし、ネットを使った交流によって、その状態に名前がつけられたことで、より明確に認識されるようになったのだ。急速にアニメ制作本数が増え、視聴者の目が肥える反面、質が不安定であったこともこの言葉が目立つようになった原因と言える。そしてこの言葉が時としてアニメーターの技や、工夫をも批判していくことになったのである。図1は『NARUTO』30話の松本憲生パートだ。


【図 1】『NARUTO』30話の松本憲生パート
 引きのショットを使いながら、全身入った長尺の格闘を見せる、アニメ史に残る屈指のアクションシーンである。しかし、このシーンは図の1コマだけを抜き取って「作画崩壊」として紹介されてしまった。「動き」を見せるためのアクションシーンであれば、流れの中で必要な絵の崩しはあるはずだ。実際このカットは、首をぐるりと回して火を噴くアクションに、軽快な勢いをつけることに成功している。ところが、「動き」には目もくれず、絵の崩れ、普段のキャラクターと似ていない部分を目敏く見つける視聴態度は確かに存在した。この現象は『魔法少女リリカルなのはA's』(2005)7話、『創世のアクエリオン』(2005)19話、『SAMURAI7』(2006)7話、『天元突破グレンラガン』(2007)4話等でも見られた。こういった事例が積み重なるうちに、いつの間にかアニメを見る側だけでなく、作る側の意識も変えていったのかもしれない。2000年代に見られたクオリティの不安定さを克服しようとする動き、これがアニメの現状だ。
 当然、近年のアニメ視聴者の態度に全ての原因があるとは考えられない。むしろ絵柄や、キャラクターの同一性を確保しようとする努力は、「動き」の獲得と並行して進んできた。2章で述べた『アルプスの少女ハイジ』の成功がまさにそれだ。長い歴史を通して、多くの視聴者はキャラクターが均質に保たれていることを常に望んできたし、アニメを作る者もそれを一つの課題としてきた。そして、この章で述べた二つのことから、その傾向はさらに強まっていると考えられる。そんな中、30話の松本憲生パートに憧れアニメーターを志した者も存在した。それがWEB系と呼ばれるアニメーターの一人、山下清悟(注7)だ。

6.総作画監督という役職は1980年代から見られるし、劇場版ではTVアニメより早く定着している。また仕事自体はシリーズ全体の「作画監督」として表記されていた役職とほぼ同じと考えられるが、本稿では「総作画監督」と名前が付いたことでより専門化されたと認識している。
7.1987年生。WEB系アニメーターの一人。2007年に商業作品デビュー。『NARUTO 疾風伝』、『鉄腕バーディー DECODE:02』等で活躍。



第4章:WEB系って誰だよ
 前置きが長くなったが、WEB系とは何者かということを説明しよう。名前の通り、インターネット上で注目を集めてから、商業作品デビューした経歴を持つアニメーターを指すことが多い。最初のWEB系アニメーターとされる沓名健一を例にとってみよう。沓名はHP上に自身が描いたアニメーションをgifで公開していたところ、業界人の目に止まりスカウトされ『鋼の錬金術士』(2003)で原画デビューした。このように、アマチュアとしてHP上に自主制作のアニメを公開し、それが注目され、商業作品のアニメーターとして抜擢されたのがWEB系だ(ある意味で、庵野秀明の経歴はかなりWEB系と近しい)。沓名に続いてりょーちも(注8)や、山下清悟等が、2000年代にデビューした。
 WEB系の多くは、ヘッドハンティングされてデビューするため、動画マンとしての下積み経験を持たず、いきなり原画を描くことになる。また、従来の作画用紙を使った作画ではなく、PC上でのデジタル作画を中心に作業する。よって、デジタルでの自主制作の経験を生かして、撮影処理や、彩色に精通している場合も多い。また、デジタル作画で最も影響のある特徴は、描いた動きをPC上で再生し、その場でチェックし、手直しながら作画できるということである。これによってもたらされる現象を語っているりょーちものインタビューを抜粋する。

りょーちも:新人が紙の作画から始めると、動きについて考える前に、画の問題にぶつかってしまうんですね。今の通常の商業アニメの教育方針だと、新人は動画から学んでいくから、まずは綺麗に線が描けないといけない。そして、次に原画に進むと、原画らしいポージングとか、画の巧さが問われる。そこまで全てこなして、ようやく動きに意識が向くんです。これはこれで問題で、つまり、動きが描けなくても、画が上手いというだけでアニメーターとして成立してしまうんですよ。一方で、デジタルだとクイックアクションレコーダーを常に持って描くことになるので、その手順の逆ができる。つまり、動きから学ぶことができるんです。ラフな画のまま動かして、いい感じの動きができたから、それを整えていく。現状とは逆の手順で勧められるので、動きを優先して勉強できるというメリットがあります。
「りょーちもが挑む デジタル作画とその可能性」『アニメスタイル005』より

 以上のことからWEB系の特徴を述べると、「下積みを経験することで得られる画を整える能力の向上が少なく、作画以外のセクションを生かす、あるいは自分でこなすことが出来、動き先行の作画をする」ということだ。付け加えるなら、WEB系は「動かしたがりアニメーター」が多く、時には他から浮いてしまうような主張の激しい作画をすることも特徴である。なぜ浮いてしまうのか。それは普段アニメ視聴者が見ているアニメとは違った方法で作画されているからである。WEB系と従来の作画がどのように違うのか、さらに詳しく見ていこう。

8.1979年生。WEB系アニメーターの一人。『BECK』監督の小林治からスカウトされ、同作品でデビュー。『鉄腕バーディー DECODE』シリーズ等で活躍。『夜桜四重奏』シリーズの監督を務める。アニメ制作にデジタル作画環境を整えるため尽力している。

第5章:WEB系のデジタル作画
 WEB系はロトスコープ(注9)や、「フル3コマ」作画等を好んで用いる(WEB系の作画全てで用いられている訳ではないことを注意しておきたい)。「フル3コマ」とは、正式な専門用語ではなく、磯光雄が自分の作画法を指して使った造語である。その意味は、3コマ送り(秒間24コマ中8コマの作画)でフルアニメーション(注10)(以下:フルアニメ)することである。とこれだけではまだわからないので、その意味を読み取ることの出来るインタビューを引用する。

小黒:ここで、フル3コマという事をもう少し、このインタビューを読んでいる人達にも分かり易くしたいんですけれど、3コマの動きを、中割りなしで、全部原画で描くという事ですよね。そうやると、中割りのある2コマよりも、1秒当たりの原画の枚数は多くなる。
井上:そうだね。動きの密度という点で言うと、多分、最高のものだろうね。2コマで中割りなし、というのは、ちょっと動きをコントロールしにくいし、それで描ける動きは、フル3コマとそんなに差がない。1コマフルという事も原理的には考えられるけれども、それは実際には、自分で自分の原画の中を割るだけの作業になってしまうだろうから、意味がないし、そもそもそんなにたくさん描けないし、スケジュールもない。だから、3コマおきに、全部画をコントロールすれば、ほぼ、描きたい動きの全てが描けるだろうね。
「アニメの作画を語ろう:animator interview井上俊之」より


 つまり、24コマ中8コマ全て原画で動かすのが「フル3コマ」だ。日本の商業作品では動きの要所となる絵(ポーズ)を飛び飛びで原画マンが描き、動画マンがその間を埋める「ポーズ・トゥー・ポーズ」という手法がとられてきた。金田伊功の大胆なポーズを挟んだ作画はまさにその極致だろう。これに対して「フル3コマ」はパラパラマンガのように、動きを順番に描く「ストレート・アヘッド」で作画していく。これが何故画期的なのか、アニメーターではない我々にとってはイメージし辛いところがあるが、図2の簡易的なタイムシートを参考にしよう。



【図 2】1秒24コマのタイムシート(12コマ目まで)2014年10月16日筆者作成
 中割り(注11)の役割は、「動き」を滑らかにするために軌道を埋めることなので、何枚中割りがあったところで次の新しいポーズや動きの基点を描くことはないというところがポイントだ。りんごが宙から地面へ一直線に落ちるというアニメの場合、原画で最初と最後の画を描いて、間の軌道を動画が割れば良い。しかし、りんごが何かの影響で揺れる、回転する等の動きが必要な場合、新しい動きの基点として原画が必要になってくるわけだ。図の場合の「3コマ中割りあり作画」には12コマ(0.5秒)中2回の動きの基点が存在し、「2コマ中割りあり作画」には12コマ中3回の動きの基点が存在することになる。ただし、1枚の原画に対して中割り1枚で描かれる状況はむしろ稀で、動画を3枚、4枚と入れることの方が多いため、通常の作画では基点の密度は図2よりさらに薄くなる。対して、「フル3コマ」は12コマ中4回の動きへの基点が存在し得るのだ。これによって2コマ作画よりも密度の高い動きを生み出すことが出来る。活気ある若いアニメーターにとってこの手法は非常に魅力的だ。なぜなら動画マンに任せず、動きの全てを自分でイメージ通りに制御するからだ。また、デジタル作画は「フル3コマ」と親和性が高い。自分で動きの全てを描き、PC上で納得のいくまで描き直し、一枚絵としての破綻があったとしても、「動き」として効果が出ていることがわかっていれば、それを恐れずに作画することが出来るからだ。このような姿勢・態度によって、より「動き」に純化した存在としてのWEB系の姿がようやく浮き彫りになってきた。ここで、一つの疑問が湧いてくる。それだけ「動き」にこだわりを持ちながら、なぜ「3コマ」なのかと。そこには日本のアニメが3コマで作ってきた「動き」に対する経験と思想が含まれている。

9.モデルの動きをカメラで撮影し、それをトレースしてアニメーションにする手法。日本では『悪の華』が、TVシリーズで初めて全編この手法を取り入れたことで注目された。
10.厳密な定義を持たず、この言葉を使う者によってかなり違った意味で語られている。例えば「24コマ中24コマ全て作画していること」をフルアニメと呼ぶ場合は多い。この例で多いのが「ディズニーは24コマ中24コマのフルアニメを作っている」といった誤解だ。1930年代以降のディズニーは2コマ、即ち24コマ中12コマの作画をするフルアニメを基調としており、必要な時に1コマ、さらに4コマや5コマの作画も行ってきたのである。この場合近いのは「対象物の動いている部分だけ作画するのがリミテッド、逆に対象物の全てを1から描き起こすのがフルアニメ」という分け方だ。しかし、ここで、注意すべきはディズニーがフルアニメを基調にしていると言っても、動作の主体でない部位が止まっていることはあるし、リミテッド中心の作品にあっても、カットによってはフルアニメ的になる。その上、「フル3コマ」で使われている意味もまた少し違うのが厄介だ。つまり、この言葉自体を定義づけて線引きすることには何の意味もない。
11.動画で原画の間を埋めること。



第6章:3コマ作画と仮現運動
 日本のTVアニメは3コマを中心に作画してきた。当然、動画枚数を減らし、制作費を削減する目的もある。しかし、経済的な自由度も増し、多くの優秀なアニメーターが揃っている現在、尚も3コマが主流となっているのは、3コマ作画でしか得られない動きの効果に期待しているからだ。
 さて、人間が画像の明滅である映像を「動き」として知覚する場合、仮現運動という言葉を根拠として語られてきた。しかし、実は1コマのアニメや、実写のフィルムは仮現運動を持ち出す必要もない。人間は1秒間に50回から60回程の早さの明滅は知覚しないことがわかっている。1秒間24コマの映像は、同じコマを2度映すことで1秒間48回の頻度で明滅するようになっており、事実上その明滅は認識されていない。つまり、人間にとっては実際に動いている物と同じ原理で見えているということだ(吹抜 2013)。しかし、3コマの、毎秒8枚の「動き」ではそうはいかない。ここで登場するのが仮現運動だ。仮現運動とは、静止した画像を次々と見せることでそれが「動き」であると錯覚する現象のことだ。3コマのアニメーションが動いて見えるのはそれに依拠している。また、3コマを認知する仮現運動はLRAM(long-range apparent motion)によって説明される。LRAMとは動きの幅が大きい運動の認知であり(吉村 2013)、近年の研究では、それは脳の中でも記憶を司る箇所で処理されると考えられている。つまり3コマ作画は一見「動き」としては認知されていないが、観る人が記憶を呼び起こして「仮に現れる」イメージを補完することで「動き」として認識されるのだ。1コマや2コマがより具体的にその「動き」を規定するのに対して、3コマは観た人の記憶と感覚に一致することで、よりリアルな「動き」として完成するのである。日本のアニメーターはその理屈を知っていても、いなくても、それに信頼して描いてきた。同様にWEB系も、3コマにこだわる。以下に引用する山下清悟と平川哲夫の対談でその3コマへのこだわりが伺える。

山下:松本憲生さんはコマを落した状態でリアルに見えるように時間に執着する。これは磯光雄さんにも、うつのみやさとるさんにもできない、極北なんです。でも、ふつうの人にこの作画を見せたら、カクカクしてるとか、なめらかに動いてないとか言われるかもしれません。
平川:ふつうは3コマ作画だと遅く見えちゃうのに、ちゃんとスピード感があるのはすごいなぁ。
山下:いまは無音で見てますけど、これに音がつくと「こういうふうに動いてるんだろうな」と勝手に脳が補完して、リアルに見えるんですよ。
平川:動きの中にない、つばぜり合いの音とか、走りの接地音とかね。
山下:3コマ作画が音によって、頭の中で1コマで再生されたときに、アニメがいちばんリアルに近づくと僕は思うんです。
「作画の時間、演出の時間、絶望の時間 山下清悟・平川哲生の対談」より(以下、山下清悟の引用は全てこの対談から)


 山下は3コマ作画によるリアルは音に依拠すると理解しているが、観る人の脳内で補完されることで完成するということに期待している点は同じである。そして松本憲生以降の「フル3コマ」において、さらに「観る人の脳内で補完される」3コマを重視した作画が押し進められた。それがタイムライン系作画だ。



第7章:時間を作画する
 タイムライン系作画とは、WEB系の主に山下清悟を中心に使われている造語である。その意味を山下は「実写映像の時間軸をコマ落しで見たときに、そこにされているであろうポーズを3コマごとに原画にする、という描き方。」と語る。つまり、頭の中でイメージされた映像をコマ落としして再現するというのだ。これは松本憲生らがうつのみや理から継承してきた感覚だ。

山下:うつのみやさとるさんは、かっこ悪いポーズであろうが、実際の人間がそこで動きをためるなら作画でもためる。キャラクターに執着するよりは、時間に執着する。


 従来の作画(タイムラインに対して演算系と呼ばれる)は、その動きがどういった軌道を辿るか、要所のポーズが印象に残るように説明して見せている。必要であれば1、2コマ打ちすることもある。対して、タイムライン系は3コマベタ打ちを徹底し、前章で記した軌道の基点となるポイント(ポーズ)、例えば誰かがジャンプして着地した瞬間であっても飛ばしてしまう。原画とその次の原画で動きが繋がっていないこともある。それは時に、動きがカクついて見え、画面上で何が起こっているのかわからないという状況まで生みかねない。しかし、その時、最早キャラクターの行為は重要でない。代わりに、「動き」の流れている時間こそが主役となるのである。

山下:松本憲生さん、うつのみやさとるさんの作画は「なにを見せたいか」という意味で演出なんですよ。キャラクターではなく、時間を見せる演出。


 アニメはキャラクターが「何をしようとして、どうなった」ということを説明するためにあるのではない。アニメはただ、そこに流れている「動き」を映し出すことで、時間に縛られることでついに、画や記号やキャラクターから解放される。本来の、「アニメーション=静止画の連続が時間によって動きに変えられたもの」という姿を取り戻す。うつのみや理や、磯光雄、そして松本憲生の挑戦してきたこと、それらを受け継ぐWEB系が「動き」こそ、アニメの主役であると示したのだ。
 
第8章:ソーシャル時代の作画と「ざわめき」
 フル3コマによるタイムライン系作画は、「動き」の流れる時間を主体とすることに成功した。ここまでは松本憲生が達成し、WEB系はそれに続いたに過ぎない。では、WEB系の新しさとは何か。それは大きく二つに分けて考えることが出来る。一つ目は4章で記した通り、デジタル作画の特性だ。デジタル作画と従来の作画を比較した時、最大の違いは「動き」の理屈より「感じ」が優先されるということだ。静止画としてどんなに崩れても、動いたときの「感じ」をその場で確かめながら、作画する。それによって、それまで多くのアニメーターが経験や画の巧さで作ってきたパターンから離れて、新たな「動き」が生まれる。二つ目はWEB系の出自とも関係のある、ソーシャル時代の表現をめぐる思想だ。
 2000年代以降、2ちゃんねるや、ブログ、twitter等のソーシャルメディアがアニメに与えた影響は計り知れない。それはアニメの視聴のされ方、内容やキャラクターのあり方、そして作画のあり方にも影響を与えていると言える。先述してきた通り、「作画崩壊」という言葉の圧力によって、アニメがキャラクターの表層を守るために存在するものに変えられようとしているし、WEB系はソーシャルメディアを通じたコミュニケーションから見出されたからだ。
 2000年代初頭、ブログやHPを中心とした、作画語りが行われ始めた。沓名健一のブログ「沓名設備 」(注12)も2001年からだ。そこには作画オタク的アニメ感想日記と、自身の描いたgifアニメが貼られており、それが注目され、掲示板には業界人のコメントが集まりスカウトに至る。これ以降、アニメーター志望者が自身のHPにgifアニメを貼るというスタイルは定着し、また多くの自主制作作品がYouTubeで観られるようになった。その後登場する2ちゃんねるの「作画を語るスレ」の常連がアニメーターになった例も存在する。小嶋慶祐等がそうだ。山下清悟は今でも原画の線を一本引くたびに「作画を語るスレ」を更新しているという。作画オタクのコミュニティから生まれるアニメーターは最近でも居る。例えば、『坂道のアポロン』(2012)や『スペース☆ダンディ』で一躍脚光を浴びたBahi JDはYouTubeの所謂作画MAD(注13)に感化された作画オタクの一人で、彼がまだアマチュアだった頃のコメントは今でも残っている。つまり、WEB系は「作画崩壊」とは別の文脈の「作画を語る」界隈の中から出てきたのだ。それはアニメーターが作画オタクという仲間でもあり、批評されるべき存在でもあるという状況を生み出す。作るものとそれを享受するもの、それがソーシャルメディアのコミュニケーションを通じて、距離を近づけ、あるいは存在を重ねる時、アニメーターもまた、境界線の曖昧な存在となる。それを以て、作画することに対する批評的、自己反省的態度が作画に表れることは不思議ではない。上記二つが合わさった時、表れるものが「ざわめき」だ。
 松本の作画はキャラクターを少なめの線でシンプルにまとめて動かす。その線の取捨選択が非常に巧みで、キャラクターが要所で綺麗な形を保ったまま動く。もちろん、残像や空間の強調等のためにあえて画を崩すことはあるが、あくまでも理屈のわかる崩し方だ。対して、WEB系は明らかにあえてキャラクターをデザインされた通りに描くことを捨てる。それが図3や、図4のようなカットだ。



【図 3】『鉄腕バーディー DECODE:02』7話、山下清悟パート




【図 4】『NARUTO -ナルト- 疾風伝』167(387)話、山下清悟パート
 『鉄腕バーディー DECODE:02』(2009)7話は本稿で紹介したWEB系全員に加えて松本憲生も参加している。この回はヒロインの記憶を描いており、非常に簡略化されたキャラクターと背景が目まぐるしく動き続ける。この簡略化されたキャラクターや、感情を爆発させ崩れた表情に例のごとく「作画崩壊」という声が集まった。極端な簡略は、記憶というディティールの定まらないものを描いてみせる演出であるのは明確だ。そうでなくとも、人間は外部からの物理的影響や、感情によっていくらでも醜くなり得るはずだ。しかし、キャラクターを見ている視聴者はそれを拒絶する。なぜあえて、時には視聴者に拒絶されかねない、商業性とぶつかるような表現に走るのか、りょーちもは自身の制作態度をこのように語る。

自分の作品は「ここにいる」という実感をつくりたいんです。そのためにも自分の目から見えたものを描きたい、商品としての方向性を強調し過剰に表現し過ぎる事で「消えてしまう弱い表現」にやさしさ、あたたかさを感じます。時間を感じる表現や画面外の存在感は大事だと思います。キャラが画面に写っていいない時も何をしているかとか。人物を中心に描くだけでなく、周りからの影響としての自然現象や外部からの力に巻き込まれる不快感や、快感も描きたいと思っています。
「ちものとアニメーション TIMO NOTE ANIMATION 」より


 だからWEB系はキャラクターをそのまま描こうとせず、感情や感覚そのものを表す主体にメタモルフォーゼさせるのだ。図の『NARUTO -ナルト- 疾風伝』(2007-)167(387)話はまさにそれだ。これもりょーちも以外の全員が参加している回だが、特にこのカットは動きの流れとしてもかなり異様で、常に身体中がグラグラと揺らめいて見える。この顔に至っては一見人型のものとは思えないほどメタモルフォーゼしている。このようにWEB系の作画を目にした時、普段のアニメにはない現象を感知することがある。キャラクターの身体を囲っている線が撓み、グラついているように見えるという感覚だ。これこそが、線の中に閉じ込められたキャラクターとしての身体が「動き」そのものに変わることで起こる「ざわめき」だ。そして、それは画面の中に存在する生命としての「ざわめき」なのだ。静止画で観ても何者かわからないほど崩されたそのフォルムが、動き出した時、キャラクターとは違う別の何か、グラグラと揺らめく感情の「動き」そのものとして立ち上がってくる。

山下:商業アニメはまず絵がちゃんとあって、そのイメージを持続したまま、あとはテキトーに動かしてくれればいい、というものじゃないですか。僕や沓名さんは、絵はぜんぜん人間に見えないのに、動いたときにこの上なく人間に見えるというのが楽しいと思ってしまうんです。


 山下は「動き」によって絵が生命に変えられることに期待している。それはアニメーションの原初の喜びに他ならない。最後に「生命の躍動」について語るベルクソンを引用して閉じたいと思う。

まずはじめに私が確認するのは、私は状態から状態へ移りゆくということである。(中略)感覚、感情、意欲、表象、そういうさまざまな様態が私の存在を分有し、これをつぎつぎと色付ける。したがって、私はたえず変化する。(中略)感情といい、表象といい、意欲といい、一瞬ごとに変化しないものはない。アンリ・ベルクソン『創造的進化』松浪信三郎、高橋允昭訳、白水社、1907年より


この地上にある生命は常に変化であり続ける。「ざわめき」は「動き」であり、「時間」であり、「変化」である。しかし、キャラクターは画面上にただ留まっている。状態の変化を恐れる、綺麗な姿でいることを望む者の手によって。WEB系の作画は、線に閉じ込められたキャラクターのままで居させられることへの反目、キャラクターとしか観ていない視聴者への反目として、情動を表す主体として、「動き」そのものという生命に変えられる。その「ざわめき」を単なるノイズとして拒絶してしまう時、最早アニメという体験は要らないのである。アニメがアニメーションである限り、「ざわめき」を受け取れない者のためにアニメは存在しない。

12.http://coosun.fc2web.com/
13.作画が優れたシーンや、特定のアニメーターの担当パートを集めて音楽に合わせた動画。


参考文献・URL
[1]増田弘道『もっとわかるアニメビジネス』、NTT出版、2011年
[2]リチャード・ウィリアムズ『アニメーターズ・サバイバルキット』、グラフィック社、2004年
[3]小黒祐一郎編『アニメスタイル005』、2014年
[4]志賀隆生「生命の躍動-ベルグソン『創造的進化』をめぐって」小坂修平編『思考のレクチュール2. 生命のざわめき』、作品社、1986年
[5]渡邊大輔『イメージの進行形 ソーシャル時代の映画と映像文化』、人文書院、2012年
[6]大塚康夫『作画汗まみれ 改訂最新版』、文藝春秋、2013年
[7]吉村浩一『運動現象のタキソノミー』、ナカニシヤ出版、2006年
[8]吉村浩一「実運動の動画表現」、法政大学心理研究部会主催パネルディスカッション資料、2013年
[9]吹抜敬彦「TVや映画における動画像の見え方〜視知覚信号処理工学の礎〜」、法政大学心理研究部会主催パネルディスカッション資料、2013年
[10]心理研究部会主催パネルディスカッション「アニメーションと仮現運動~この似て非なるもの?~」、2013年
http://www.i.hosei.ac.jp/~yosimura/record20130825.htm)、最終閲覧日2014年10月17日
[11]「作画の時間、演出の時間、絶望の時間:山下清悟・平川哲生の対談」2010年
http://bokuen.net/interviews/yahi.html、)最終閲覧日2014年10月17日
[12] 片渕須直「β運動の岸辺で:第27回 死語である“フルアニメーション”」、2010年
http://style.fm/as/05_column/katabuchi/katabuchi_027.shtml)、最終閲覧日2014年10月17日
[13]WEBアニメスタイル「もっとアニメを観よう:第1回 井上・今石・小黒座談会」2002年
http://style.fm/as/04_watch/watch01_1.shtml)、最終閲覧日2014年10月17日
  

ディズニーで一番好きなヒロインは…

2014年12月12日 07:51
パーディー(パーディタ/Pardita)です。
パーディーとは、『101匹わんちゃん』(1961)の主人公の1匹でダルメシアンのメス。作画はレジェンド、オリー・ジョンストンとフランク・トーマス。動物を描かせたらこの二人に敵う者などない最高のアニメーター。レディやバンビを描いた人達と言えばわかるかも。上品で優雅で知性と色気を感じさせる身のこなし、正確なデッサンで観察に基づいたリアリティと、それでいてアニメ的な楽しさやデフォルメがしっかりと入った素晴らしいア二メート。
声を当てているのはケイト・バウアー。吹き替えは松金よね子さんの方しか知らないけど、両方とも上品で素晴らしい演技。
多分ディズニーで犬と言えば、レディの方が人気あると思うけど、パーディーも可愛いゾー。可愛いというよりは美人系だけど、犬だけど。

以下、パディータの可愛い画像を貼るだけ。
初登場シーン。顎をちょっとあげてお澄ましして歩く。上品で毛艶が良さそう。なでなでしたい。腰のくびれとかすごく良い。抱っこしたい。



おいたかましたポンゴの横をつんとして歩く。


結婚。


気持ち良さそうに日向ぼっこ。ここで気持ち良さそうに深呼吸するとこがすっごいかわいい。


セクシーな目つき。ここの表情の芝居すっげえ良い。


上目遣い。


ペロペロされたい。


クルエラ来襲に弱ってもかわいい。ペロペロしたい。


お母さんでもかわいい。


犬が小首かしげるのって、なんか変な音するなって思ってその音との距離感を確かめるためらしいね。



で、画像収集してて気づいたけど、ここのパーディーって反転させた同じ画使ってるね。画像ではちょっと違うけどタイミングがズレてるだけで、ポンゴもそうかも。え、ディズニーでもそんなことするの!?って思った人へ。
贅沢にお金注ぎ込んで作った『眠れる森の美女』が商業的にはあまり成功しなかったのもあってか、『101匹わんちゃん』からディズニーはゼロックスによって原画をセルにトレースする行程の機械化をしていて、多分それに伴ってこの時期は省力作画な部分も増えてる。この時期の作品は、アニメーターが描いた線がそのままセルに転写されてるから、味のあるスケッチ風の画になってて、特にアンニュイな語りや、ジャジーな雰囲気を含んだ『101匹わんちゃん』はそれがオシャレな効果になってる。
まあそういうこともあって、ディズニーでも探せば使い回しや、止め画の部分、つまり、リミテッド調なところは結構見つかると思う。有名なとこで言うと、『ロビン・フッド』は流用してるとこたくさんあるし、『美女と野獣』ラストのダンスシーンも『眠れる森の美女』の流用なんだよね。

弱っててもかわいい。



煤に汚れててもかわいい。


『101匹わんちゃん』のBDが来年3月に発売らしい。買う。
おわり。  

このページの上へ▲