「七人の侍」的時代劇と「もののけ姫」

2013年03月25日 23:52
『何が映画か「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』を読んで思ったことを。
 
 「七人の侍」はハリウッド的ストーリー構成をとっていると言われることが多い。これは安定した状況から変化が起こり、それに対するなんらかの解決がなされるという点で語られたことであるが、実際、ジョージ・ルーカス、スティーヴン・スピルバーグなど錚々たるエンターテイメント監督達が口々にこの作品の影響を語ることからもハリウッド的快楽、分かりやすさを持っていることが伺える。当然のことながら、黒澤明が映画に与えた影響はハリウッドだけではない。日本のアニメーション作家達も黒澤明作品を見て映像制作のなんたるかを学んだという。分かりやすい例で言えば、出崎統監督の「ガンバの冒険」がある。このアニメは主人公をネズミにしたリメイクとも言える作品となっている。このような明確な影響だけでなく、映像制作の基礎、方法論が受け継がれていることを見ることが出来る。本文ではそんな中で、特に影響を受け、また同じように世界にその名を知らしめ、続く作家達に影響を与え続けている宮崎駿を見ていこうと思う。また、「七人の侍」と対応させて「もののけ姫」を時代劇の傑作と捉えて考えていきたい。

宮崎駿と黒澤明
 黒澤明が映像を作る多くの者達にリスペクトされていることは疑い無いが、今回取り上げる宮崎駿も「七人の侍」が一番好きな映画だと語る一人である。また、真意は定かではないが、黒澤明も宮崎駿の作品が好きだと語っていた。日本を代表する映画監督が互いに意識をしているというのは興味深い話である。

黒沢明、宮崎駿の対談を読んで
 さて、『何が映画か「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』を読むと、早速馬や武具へのこだわりの話になる。武具はこの時代ならこうではないですかと宮崎が問えば、実はこれで正しいのだと黒沢が答える。映画の細かい部分にこだわることが彼らの楽しみなのだ。黒沢は撮影した戦闘描写や武士のあり方が正しいかどうか専門家達に聞いて回ったというエピソードもある。宮崎作品も背景の美しさや、人物の服装までこだわった映画を幾つも生み出している。宮崎駿の「雑草ノート」「妄想ノート」を読むと、ミリタリー中心ではあるが、その細かなオブジェクトへの気配りを知ることが出来る。こういったこだわりが彼らの巨匠たる所以であろう。

ディティール、リアリティへのこだわりと、目指すものの違い  
 さて、黒澤明と、宮崎駿は細かい部分へのこだわりにおいて、共通点を見いだすことが出来たが、異なる点もある。
 一般的な映像作品に置ける百姓達は、哀れな被害者で純朴な存在として描かれることが多い。しかし、菊千代が「嘘をつく 何でもごまかす」「けちんぼで ずるくて 泣き虫で 意地悪で間抜けで 人殺しだあ!」と叫んだように、「七人の侍」では我々の牧歌的な百姓への憧れをぶち壊した真の姿が描かれている。黒澤明が幻想を壊す程の徹底したリアルな世界を描いたのに対して、「もののけ姫」に登場する人々は必ずしもそのような醜い姿を見せるわけではない。逞しく、明るい、気持ちのいい人間達である。また作品全体に自然への幻想的な憧れも感じる。人間描写に置いて求めるリアリティに違いがあることがわかる。
 また、黒澤明は「テーマなんてものはなくたって、当然作品というものには作者の人生観が出て来てしまうものなんだな。」と語ったように、必ずしも作品にテーマを持たず、自身の中の思いは明確にしようとせずとも作る中に表れると考えた。「七人の侍」を見ると、ハリウッド的、ドラマティックであると同時に、客観的に時代の生活、事実を捉えたドキュメンタリーのようにも見える。単純なハッピーエンドに終わらないことからもそれが言えるだろう。ここで、時代の一場面を切り取ったかのような時代劇を「七人の侍」的時代劇と呼ぶことにする。それに対し「もののけ姫」含む宮崎駿作品は自然信仰や神秘主義、若者へのメッセージなど目的を持って作られていることが多い。

新時代の映画へ
 「七人の侍」が時代劇の最高傑作の一つであることは、多くの人が認めるところである。同時に1954年という早い段階でそのような作品が生まれてしまったことは、その後の作品にある種の縛りを与えてしまうことになる。作品が「七人の侍」的であればそれを越えていくのは難しい。そして、「七人の侍」の道から外れてしまえば時代劇映画製作のいろはを知らないやつだと言われかねない。それについて、宮崎駿はこう語っている。「黒沢監督は『七人の侍』を作ったことによって、日本の映画界に一つの基準を作ったと僕は思っています。(中略)その後、多くの人間達が映画を作るときに縛ってきた。(中略)我々に課せられているのは、「なるほど違う時代劇だ」という映画を果たして作れるかどうかということです。」この発言から4年後、宮崎駿は新作を発表する。それこそが、その縛りから逃れることを達成した「もののけ姫」であった。宮崎駿はこのアニメーションによって実写映画ではなし得ない表現を手に入れたのである。「もののけ姫」は正確には時代劇ではないかも知れない。しかし、劇中で見られる弓を射る姿、時代考証と人々の行動原理など細部のこだわりが見られるこの作品は方法論から見れば「七人の侍」的時代劇なのである。しかし、それだけではない。この作品は同時にファンタジーであり、人間の生きることや自然の神秘性をテーマとして語るのである。これこそ、「なるほど違う時代劇だ」と言える黒澤明の縛りから解き放たれた新しい映画の一歩ではないだろうか。
 今日、宮崎駿という人が残した功績が人々を縛っているように見える、ポスト宮崎駿、ポストジブリなどという言葉を目にすることもある。「なるほど違うアニメだ」と言われる作品を作るには必ずしも既存の方法論から逸脱する必要は無い。むしろ宮崎駿のやったように、既存の方法論を追求していく中に、新しい映画の一歩が見えるかもしれないのである。

【参考文献】
[1]『何が映画か「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』黒澤明、宮崎駿、徳間書店、1993年
[2]『大系 黒澤明 第2巻』黒澤明、浜野保樹、講談社、2009年
  
タグ :アニメ映画


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