教養としての高野文子

2013年02月27日 23:48
漫画を教養として読みなさいなんてことは僕はとても恐しくて言えないけど、2002年の大友克洋氏との対談で、高野文子先生は漫画はかしこくなるために読むものだと、仰っていた。
高野先生が言うのだからこれは一つ方向として間違いない。しかもそれを意識して描いている本人の漫画はいよいよその通りなのだろう。これは皮肉でもなんでもなく、高野先生の漫画は自身がそう語るに十分に足りるものであると思う。
amazonの文学・評論コーナーにはWeb文芸誌マトグロッソというページがある。そこで高野先生も「ドミトリーともきんす」という漫画を月一で連載しているのだが、その内容が実に教養的。
実在した科学者達の発見にたどりつくまでの発想や想像力を描き、最後にその著書を紹介するというもので、僕も思わず「中谷宇吉郎随筆集」など読んでみてしまった。感想は長くなるから避けるが、とても良い読み物だった。
まあ、科学者を紹介する作品である「ともきんす」の教養性は、例としてはそのまんま過ぎるけど、高野先生はやはりかしこくなるために漫画を読むというスタンスを今も続けてらっしゃるのではないかと思うのであった。  


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