2017年に観た映画

2017年12月28日 01:39
今年観た映画をメモとして残したいだけ。劇場で観た新作のみ。
去年よりは観た。まあ去年はシャワーのためだけに家に戻ってすぐ外回りとか、シャワーする暇もないとか、車で寝るとか、ソファーで寝るとか、そもそも寝ないとかそういう忙しさが半年続いたからなあ。おかげで『シン・ゴジラ』を観たのも大仕事を抜けたクリスマス頃だった。しみじみ。

マグニフィセント・セブン
ナイスガイズ!
トリプルX:再起動
SING/シング
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーvol.2
皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ
ハクソー・リッジ
海辺のリア
LOGAN/ローガン
ベイビー・ドライバー
ダンケルク IMAX次世代レーザー
アウトレイジ最終章
ブレードランナー2049
バリー・シール/アメリカをはめた男
KUBO/クボ 二本の弦の秘密
かいけつゾロリ ZZのひみつ
パーティで女の子に話しかけるには

来年はもっと見られると良いなあ。来年も地獄を見そうなんだよなあ。  

ディズニーで一番好きなヒロインは…

2014年12月12日 07:51
パーディー(パーディタ/Pardita)です。
パーディーとは、『101匹わんちゃん』(1961)の主人公の1匹でダルメシアンのメス。作画はレジェンド、オリー・ジョンストンとフランク・トーマス。動物を描かせたらこの二人に敵う者などない最高のアニメーター。レディやバンビを描いた人達と言えばわかるかも。上品で優雅で知性と色気を感じさせる身のこなし、正確なデッサンで観察に基づいたリアリティと、それでいてアニメ的な楽しさやデフォルメがしっかりと入った素晴らしいア二メート。
声を当てているのはケイト・バウアー。吹き替えは松金よね子さんの方しか知らないけど、両方とも上品で素晴らしい演技。
多分ディズニーで犬と言えば、レディの方が人気あると思うけど、パーディーも可愛いゾー。可愛いというよりは美人系だけど、犬だけど。

以下、パディータの可愛い画像を貼るだけ。
初登場シーン。顎をちょっとあげてお澄ましして歩く。上品で毛艶が良さそう。なでなでしたい。腰のくびれとかすごく良い。抱っこしたい。



おいたかましたポンゴの横をつんとして歩く。


結婚。


気持ち良さそうに日向ぼっこ。ここで気持ち良さそうに深呼吸するとこがすっごいかわいい。


セクシーな目つき。ここの表情の芝居すっげえ良い。


上目遣い。


ペロペロされたい。


クルエラ来襲に弱ってもかわいい。ペロペロしたい。


お母さんでもかわいい。


犬が小首かしげるのって、なんか変な音するなって思ってその音との距離感を確かめるためらしいね。



で、画像収集してて気づいたけど、ここのパーディーって反転させた同じ画使ってるね。画像ではちょっと違うけどタイミングがズレてるだけで、ポンゴもそうかも。え、ディズニーでもそんなことするの!?って思った人へ。
贅沢にお金注ぎ込んで作った『眠れる森の美女』が商業的にはあまり成功しなかったのもあってか、『101匹わんちゃん』からディズニーはゼロックスによって原画をセルにトレースする行程の機械化をしていて、多分それに伴ってこの時期は省力作画な部分も増えてる。この時期の作品は、アニメーターが描いた線がそのままセルに転写されてるから、味のあるスケッチ風の画になってて、特にアンニュイな語りや、ジャジーな雰囲気を含んだ『101匹わんちゃん』はそれがオシャレな効果になってる。
まあそういうこともあって、ディズニーでも探せば使い回しや、止め画の部分、つまり、リミテッド調なところは結構見つかると思う。有名なとこで言うと、『ロビン・フッド』は流用してるとこたくさんあるし、『美女と野獣』ラストのダンスシーンも『眠れる森の美女』の流用なんだよね。

弱っててもかわいい。



煤に汚れててもかわいい。


『101匹わんちゃん』のBDが来年3月に発売らしい。買う。
おわり。  

レンタルでアニメ映画見る1:ケモアニメ編

2014年04月07日 00:29
最近20本ほどアニメ映画を借りてみたので、適当に感想を書く。
初見の作品やら幼いころに見たっきりのものやら色々見たけど、どれも新鮮な発見はあった。
『二ムの秘密』


ディズニー出身のドン・ブルース監督によるディズニーっぽいファンタジー。今回初視聴。
おかあさんが病気の息子のために助けを求めて奔走しているうちに、<人間に改造されて知能を持った大ネズミ達の内輪もめ>にも巻き込まれていくという、すごそうなそうでもないようなストーリー。結局おかあさんの勇気パワーで大きな魔法が起こり万事解決っていうおかあさん一人で良かったんじゃないかな感ある上に、突っ込みどころもちょくちょくあるので素晴らしい!感動!とはならなかった。けど、映像自体がゴージャスだからなんだか壮大に見えてしまう。
あと、とにかくおかあさんネズミがかわいい、っていうか色っぽい。吹き替えの上田みゆきさんの演技も上品でとてもマッチしてる。
カラスが奥さんにちょっと気があってちょっかい出してるんだけど、それを軽くあしらったり、時にはシナを作って利用したりと、おしとやかに見えて意外とあざとい。


おかあさんが子どものためにーっていうまっすぐというか視野が狭いというか、頑張り方がおおかみこどもと似てないこともない。

『プリンセスと魔法のキス』


結構度々見直してる作品。
カエルティアナかわいいよカエルティアナ。むしろカエルの方が好きまである。


いや、ケモナーじゃないけどね。
近年のディズニーではけっこう好きな作品。音楽が良い。ジャズ発祥の地、ニューオリンズを舞台にホタルやワニまでスウィングするミュージカルアニメ。
僕はアーリージャズが好きなので、この作品は何回見ても楽しい。音楽はトイストーリーでおなじみのランディー・ニューマン。トイストーリーのテーマ曲、"You've got a fiend in me"は僕も弾き語りしてみたことある。
個人的に気に入っているのはヴィランのドクター・ファシリエ。歌も良いし、サイケな魔術の演出も影の見せ方もオシャレでカッコイイ。



『ビアンカの大冒険』


幼い頃はよく『101匹わんちゃん』のVHSを繰り返し見ていた。
その中に『ビアンカの大冒険』の宣伝が入っていたという記憶があって、そういえばまだ見たことないなと思い今回初視聴。
2作目ゴールデン・イーグルと合わせてみてみたらば、宣伝が入ってたのは2作目の方と判明。
残念ながらウォルト死後の低迷期のディズニー作品で本国でもあまり有名じゃないらしいね。

ネズミたちによるレスキュー協会というものが存在して、人間の与り知らぬところで世の助けを求める人を救い出していると言う設定。
この辺の見せ方が流石ディズニーで、ワクワクするギミックがたくさん盛り込まれてる。人間が国連でニューヨークに集まり、その各国代表のカバンの中から、表れる各国代表のネズミたち、人間たちの足下のドアを抜けるとパイプを伝って大きな会議場が顕われる。とか、アホウドリの背中のシートに乗って旅に出る。とか。子どもの冒険心をくすぐるアイデアがディズニーはやっぱり上手いよなあ。

ビアンカかわいいよビアンカ。


眠そうにバーナードに肩を寄せたりやっぱりあざとい。最近のオタク界隈の文脈でいうとビッチっぽい。でもそれが良い。
ちなみにナインオールドメンが全員じゃないにしろ集合した最後の作品で、作画は怒濤の荒めのスケッチっぽい線で動きまくる。
中でもミルト・カールの担当したマダム・メデューサはなんかすごいのはわかるんだけど素人の僕にはどうすごいのかわからなくなってくると言うか、ちょっと見てて疲れるくらい。現役最高峰の日本人アニメーター井上俊之さん曰く、上手過ぎて浮いてるとのこと。
北久保監督もやり過ぎとtwitter上でコメントしていた。北久保監督曰くディズニーは『101匹わんちゃん』か『ビアンカの大冒険』の2択なんだそうだ。あれ、うつのみや理さんは『シンデレラ』って言ってたけど…
まあ、とにかく2作目のゴールデン・イーグルではすっかりディズニーの中でもエース級になっていたグレン・キーンの出世作でもあり、ディズニー作画の中でも記念碑的作品なんだろう。



『ビアンカの大冒険 ゴールデン・イーグルを救え!』


ビアンカかわいいよビアンカ。


ほっぺが桃色に染まってより色っぽくなり、やっぱりあざとい。

さて、僕の個人的な感想を言えば、この2作目ゴールデン・イーグルの方がすごかった。というかこんなすごいアニメあんまり見たことない。
なにより、グレン・キーンによるマラフーテの迫力。羽の柔らかさ、大きな体をしっかりと支える骨格、羽ばたくシーンのアングル、レイアウト、見ていてめちゃくちゃ気持ち良い。
オーストラリアの大自然を舞台にダイナミックな立体的動きが随所に。ライオンキングのオープニングに感動した人なら絶対にすごさがわかる。



『スペースジャム』


今回見た中で一番しょうもないかもしれない作品。10年以上前に見たっきりだったけど意外と面白かった。
バッグス・バニーとマイケル・ジョーダンの夢の共演。

お世辞にも名作とは言い難い。なにしろただのエアジョーダン宣伝映画だからね。ちなみに僕はバスケ部の頃、エアジョーダン1の赤黒カラー(桜木花道のと同じ)を履いてたことがあるぞ。
まあギャグは寒いし、ジョーダンの演技は棒だし、子供騙し映画な感は拭えないけど、エンタメしてた。アニメーションはすごかったし。

やたらとセクシーな新キャラローラ・バニーたん。




ほんまアメさんのアニメは罪深いでえ。

今回の新鮮な発見:僕はケモナーじゃないけど、アニメのキャラ化した動物って萌えるよなって。  

人形使い2.0

2013年12月26日 22:40
人形使いは攻殻機動隊の中でも特殊な存在だと思う。自らをAIではなく、情報の海で発生した生命体と語るそいつは、『攻殻機動隊』における問題意識を顕著に表した存在と言えるんじゃないか。

さて、押井守の劇場版のリニューアル版2.0において、最も目立つ変更点は人形使いの声優が榊原良子さんに変更されたことだと思う。最も目立つというのは、この変更に批判も多かったからで。批判点をまとめるならこうだろう。
①慣れ親しんだ声優から変わって違和感がある。
②女性型擬体と男性声のギャップこそ魅力であった。あるいはギャップこそ人形使いを捉える、ある種の本質に違いなかった。
③少佐と人形使いとの融合は一種の恋愛であったはずだから、女性に変わると矛盾が生じる。

ちなみに、このブログではあまり語ってこなかったけど、僕は榊原良子さんの大ファンなので、今回はこれらに対してどう擁護するかという記事に他ならないよ。

【①慣れ親しんだ声優から変わって違和感がある。】
これはどうしようもないね。いきなり敗北宣言だけど、これはどっちが好きかという問題なので。ただ、家弓家正さんのほうが聞き慣れているからといってリニューアル版を最初から捨てるのももったいない。押井守が最も信頼していると語る榊原良子さんの声の良さ、力量を信じて欲しいとは思う。おどろおどろしく、神々しくもあり、艶やかな演技は素晴らしいよ。慣れるだけなら、3回見れば十分だと思う。

【②女性型擬体と男性声のギャップこそ魅力であった。あるいはギャップこそ人形使いを捉える、ある種の本質に違いなかった。】
ギャップが魅力っていうのはわかるとして、ギャップがある種の本質っていうのはどういうことかいうと。
まず、声がどこから出ているのかと考えた時に、女性型擬体を通しているなら、その喉から発せられる声はその擬体の持つ声である。と考えるのが妥当だろうと。
ところが、男性の声が聞こえているということは、人形使いが擬体、もっと言えば身体に依存しない存在であると。新たな生命体としての可能性が浮き彫りになると。これが女性擬体から男性の声が出る人形使いの魅力であり本質じゃないかっていう。

ここで、劇中で声がどんな風に描写されているか確認しておこう。
人形使いが初めて喋るところ。

擬体はあるけど、口が動いていない。スピーカーを通したようなノイズの混じった音が室内に響き渡っている。
擬体の口が動き、肉声(?)に変わる。


それから、ラストのコドモトコ。

坂本真綾さん(擬体)の声から田中敦子さん(少佐)の声に変わる。


描写から見るに声はそれぞれのゴーストが持つ固有の音ということで良いんだと思う。まあ攻殻世界では脳で直接連絡しあってるから、自明のことかもしれないけど。

要するに男性の声を持つ人形使いは男性で、女性の擬体に入っても身体に依存しない存在として描かれたというところまでが95年版『攻殻機動隊』。

ということで、榊原良子さんに変更したことで、人形使いの本質を示すことに成功しているという擁護をしなきゃいけない。
③と合わせてまとめに入る。

【③少佐と人形使いとの融合は一種の恋愛であったはずだから、女性に変わると矛盾が生じる。】
まず、これは矛盾ではないと思う。なぜなら、少佐はレズセックス好きだから(原作より)。まあ恋愛という意味では知らんけどね。

と、冗談はおいといて。
原作で少佐は人形使いを「彼」と呼んでいる。便宜的にか、接触して受ける情報から男性性を感じ取ったのかはわからないけど。「プロポーズを受けるわ」とも言ってる。素直に読み取るなら、男性だと思うのは当然だし、1995年版はその通りに作ったのだと思う。押井守も恋愛として描いたようだし。
ここで、2.0の変更が意味を持ってくる。わざわざ、戯れだけで変えるだろうかということ。

人形使いが男性か、女性かってのは大事な問題じゃないんじゃないかな。
草薙素子と人形使いの「融合」は性交じゃなく、量子化された人類の新しい生殖を示している。ネットワークそのもの、情報、知能との融合。そのときもはや性別は関係ない。
「融合」の後、『イノセンス』では少佐らしき存在が人形に移って登場する。原作2巻では様々に変種を生み出していった。(原作1巻ラストの少佐はマイケル・ジャクソンみたいな男性擬体に入ってる)
まあ簡単にいえばどっちにせよネットに散らばる生命体になったということで。

要するに人形使いは身体に依存しない存在で、さらに観測されるまで男女どちらでもある。どちらの可能性も持っている量子的存在ということが付け加えて示されたのが2.0なんだと。二作品合わせて見ることで人形使いの本質が示されているんじゃないかなって。だから榊原良子さんが声を当てたことにはちゃんと意味がある。
と思う。

まあ、押井守自身は冗談めかしく、女性同士の融合がエロいと思って、とか榊原良子さんの声が好きだからなんて言ってるようだけど。(ソースは誰かのブログ)

ネットは広大だわ……

  

『かぐや姫の物語』

2013年11月24日 00:45
高畑勲作品が好きなんです。
ホルスに始まり、ハイジもアンもチエも山田くんもパンコパも、他の色々もみんな好き。
なぜ好きなのかって考えると、「家族」をしっかりと描けているからじゃないかなと思う。家族ものに弱いんだよね。お母さんが息子を大事に思ってるような描写を見るだけでツーンとくる。

「家族」は生活の中心であり、最も基本的な存在理由で、人間の生命の美しさはやっぱりそこに表れる。
だから、「家族」を描けるということは「生きる」を描けるということだと思う。その「生きる」力強さに僕は感動するんだろう。

宮崎駿監督の最新作『風立ちぬ』もキャッチコピーが「生きねば。」だったのは偶然じゃない。
宮崎監督にしろ、高畑監督にしろ描く人物達は全力で走り回り、大きな口を開けて笑う(『風立ちぬ』の描き方はちょっと違うかもしれないけど)。
彼らは生きているものを描けるからこそ偉大な映像作家なんだと思う。

『かぐや姫の物語』は「かぐや姫がなぜ地上にやってきたのか」というコンセプトで作られた。かぐや姫を感情移入の出来る一人の人格として描こうという試みだ。そして、かぐや姫が生命を得るために描かれる必要があったのは、「家族」としての営みだった。と思う。
かぐや姫は竹取りの翁、おばあさんに愛されて育った。原作において「この児、養ふほどに、すくすくと大きになりまさる」程度にしか描写されていなかったかぐや姫の幼少期も仔細に描かれ、それはそれは可愛い。
変な話しが、『かぐや姫の物語』こそ日本の物語史上初めて「かぐや姫」という人が生まれた瞬間なのではないかな。
高畑監督だからこそ、かぐや姫に命を吹き込むことが可能だったのだと思う。
高畑監督の描くかぐや姫は走り回り、草木、虫、鳥に触れた。生きようとしていた。

しかし、物語はかぐや姫に命が宿ったところでは終わらない。かぐや姫は段々それが出来なくなっていき、ラストは知っての通り月に帰らなければならない。かぐや姫は生きたかったけれど、生きることは不可能なのだと知る。それが「罰」ということなんだろう。
(キャッチコピーの「姫の犯した罪と罰」についてはパンフレットに高畑監督がズバリ答えを書いているのでそちらを参照。)
日本最古の物語である『竹取物語』がリリカルに、かぐや姫がより美しく生き生きとして描かれた『かぐや姫の物語』は、日本のフィクション史上に残る記念碑的作品だ。

もう一つ、映像としての完成度について。これはもうひたすら感動。古くから使われる楽しいアニメーションでもあり、かつて誰もやったことのない描き方への挑戦でもあった。
日本人が示すべき美しさを存分にアニメーションにした極致であり、ゴールであり、最高到達点であり、完成形だった。作画オタとして今まで見てきたアニメの中でも最高傑作の一つだと思う。

歴史的傑作を目の当たりに出来たことを幸福に思います。  

10月はたそがれの国

2013年10月01日 00:24
10月なのでブラッドベリの『10月はたそがれの国』読んだ。
叙情派SFとか呼ばれた詩的なブラッドベリの作品こそちゃんと原文の言葉を味わって読むべきかもしれないな。と思う。
前に『幼年期の終わり』を一所懸命原文で読んだけど、しんどかった。

『10月はたそがれの国』の原題は"The October Country"っていうんだけど、この邦題気が利いてて良いよね。ニュアンスは変わってるかもしれないけど、ブラッドベリの幻想的な言葉の雰囲気を上手く表してると思う。少なくとも『スはスペースのス』よりは絶対に良い。
さて、正直10月だからっていうこのタイトルありきで、記事の中身考えてなかったんだけど、せっかくだから邦題について考えてみる。

SF小説の邦題って素敵なのが多いよねって話はよく聞くと思う。まあ実際は原題のほぼ直訳なんだけど微妙な言葉遣いの差で光ってると思う。
例えば"The Lights in the Sky Are Stars"は『天の光はすべて星』で、ただ直訳したらこうはならないけど、簡潔に訳してかつ壮大になってる。"Inherit the Stars"が『星を継ぐもの』っていうのもカッコイイ。

映画の邦題には原題よりも良いのがたまにある。
"Sister Act"→『天使にラブ・ソングを…』
"Butch Cassidy and the Sundance Kid"→『明日に向って撃て!』
この辺は原題より邦題の方がカッコイイと思う。『明日に向かって撃て!』なんて原題は名前並べただけだからね。

"Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols"→『勝手にしやがれ!!』
"Under Siege"→『沈黙の戦艦』
この辺は日本の既存コンテンツへの当てつけというかパロディというか。
日本における「勝手にしやがれ」の変遷はゴダール→ジュリー→ピストルズって感じですかね。

"A Hard Day's Night"→『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』
これは変え過ぎて意味が分からん。別の作品と間違えてつけた説があるらしい。ただ、もう定着してるから「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」と言えば「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」なんだよね。僕も結構好きだよ。ちなみにつけたのは水野晴郎氏だそう。
ところが2000年から『ハード・デイズ・ナイト』に邦題が改められたらしい。これは無粋だ。

こんな感じかな。タイトルありきで中身なんも考えてなかったけど書き始めたら意外と記事になった。ということで、タイトル(邦題)についての話でした。  

マンオブスティール観てエイミー・アダムスのファンになったので那珂ちゃn(ry

2013年09月01日 23:17
マンオブスティール観た。艦これは全く関係ないよ。やってるけどね。

ちなみに僕自身はアメコミ全然詳しくない。許して。身内や友人から聞きかじった知識がほんのちょーっとだけあるくらい。
なので、かなり適当に思いついたことを言いますよ。一応ネタバレにならない程度に。

以下散文。ツイッターでやっとけ。ツイッターでも一通り言いました。

アクションは派手でかっこいい。スーパーマンのパンチでぶっ飛ぶ感じとか、質量感があってかなり気持ちよかった。けど、最初から最後までアクションの山場が多過ぎてまあちょっと疲れた。スーパーマンの超パワーを最新の映像技術を駆使して表現するということには成功してたんじゃないですかね。画面もかっこ良かった。

スーパーマン自体はすげえかっこいい。 ヘンリー・カヴィルの胸筋ぶるんぶるんで素晴らしい。顎も逞しいし、良いスーパーマンだった。

次、とりあえずDC映画として、ヒーロー映画として。青いスーツのスーパーマンがみんなに褒め称えられながらヒーロー活動をする姿は描かれなかった。オリジンだからヒーローの誕生だ!っていう瞬間のカタルシスを期待したんだけど、それがなかったなあ。
バットマンビギンズだと、バットマンのお約束要素がどんどん取り込まれて、いよいよバットマン完成だ!っていうワクワク感があったんだけど、そういう要素は欠如していたように感じる(僕が読み取れていないだけなら申し訳ない)。
ラストシーンに関して、バットマンビギンズはジョーカーの登場を示唆する胸熱展開で終わったわけだ。マンオブスティールのラストシーンも一応スーパーマンに描かせない要素を取り上げたけど、あと一歩快感に欠けて地味だった。(スーパーマン映画に必ず出てくる小道具に関してはちゃんと登場してたらしい。僕は見逃してた。)
つまり、全体的にはお約束やファンサービス的なものの不足を感じた。
まあ「これを取り入れて欲しかった」とかの話しはあんまり言うと「ぼくが考えたさいきょうのスーパーマン映画」になっちゃうからやめとくね。

これはトレーラー見ればわかることだけど、スーパーマンのオリジンにも関わらず、最初の敵が、いきなりスーパーマンを目的に地球にやってくるっていうのがつらい。みんなのヒーロースーパーマンじゃなくて最初から厄介者扱いなのかよと。観る前は思ってた。
が、そもそもスーパーマンがいなかったらこんなことになってないのに、その問題にはほとんど触れず、U.S.Armyがスーパーマンを味方認定してあとは共闘。適当だな!
まあその辺は大らかで良いか。むしろスーパーマンがそういうので世界中から非難されるのは見たくなかったわけだし。
軍との共闘の件は平成ガメラ2を思い出したよ。
ただ思ったのは建物ぶっ壊しまくっても一人のヒロインのピンチは必ず救うというのはある意味ヒーローっぽくて良かったんじゃないかな。

本題。ロイス・レーン役のエイミー・アダムスが良かった。『魔法にかけられて』のときはアホなお姫様役だったからか、興味が無かったけど、今回の役はとても好みだった。やっぱキャリアウーマンっぽい、シャツとかビシッと着てるカッコイイ女性は良いね。ファンになりました!ファンになりました!

結論としては『ヤングスーパーマン』という詳細なオリジンが大人気放映していたアメリカにはスーパーマンのオリジンはそれほど重要ではなくて、スーパーマンのアクション、映像のクオリティに特化したのかななんて。

おわり。  

一ヶ月前に『SHORT PEACE』観たよ。思い出したよ。

2013年08月23日 18:14
大友克洋最新作『SHORT PEACE』観てきましたよっと。観たの一ヶ月程前なんだけどね…
確か、前の記事書いた日に観に行って、早速感想をブログに書こうと思ったけど、マンガミュージアムのことを書いてなかったから先にそれを書かないとと思い出して、それでは『SHORT PEACE』については明日書こうとか思ってたら一ヶ月経っていましたと。
なんですぐ書かないかな…感想の鮮度も下がっちゃうのにね。感想書く程の作品じゃなかったとかじゃないから。本当に。良かったんだから。
うん、良いアニメ見てきたっていう充実感は確かにあるのですよ。
本当はそれほど期待してなかったのだけど。

カトキハジメが初監督だったり、『火要鎮』が文化庁メディア芸術祭アニメ部門の大賞とったり、話題にはそれなりになってたけど、僕はどうもまだ3DCGのアニメに慣れなくて、観る前はせっかく優秀なスタッフ集まってるんだから手描きでやってくれよーとか思っちゃってたのだ。
2006年の『FREEDOM』とか僕はすごい好きなんだけど、トゥーンレンダリングのまだまだチープな質感にちょっとがっかりしていたから、その印象がまだまだ拭えないでいたのもある。ところが今回の『SHORT PEACE』は予想以上に違和感がなかった。進歩してるじゃないか!素晴らしいネ!
神山監督の009も含めて、日本のアニメでトゥーンレンダリングをつかっていこうって挑戦は続いてるのよね。

思えば99年頃の大友、森本晃司さん、亡くなった今さんの対談でも「僕らはCGを使うのが面白いから使ってるんだ」って話をしてて、そこからずっとCGをアニメーションにうまく取り入れようってずっとやってきたんだね。安くアニメーションを造れるからという消極的な理由じゃなくて(それはそれで良いと思うけれど)、CGを使うことに表現的な面白さを見出せているからこそなんだと思う。今回はその挑戦がかなり実を結んでいるのを感じました。感服。

肝心の中身の話。ちなみに共通テーマは「日本」なんだってサ。
まず森本監督担当のOPは、ひぐらしの鳴く幻想的な雰囲気の鳥居と少女というモチーフ。もうこれは僕が大好きな奴ですよ。出だしの数秒で気持ちよくなれた。何度でも観たい。

続く森田監督の『九十九』、これはCGで日本の布の美しさを表現しようってやつですかね。人物のCGは若干滑ってたし、背景と噛み合ってない感じを受けたけど全体的に暖かい印象を受けるCGだった。

そんで大友監督の『火要鎮』、すげえ!こんなに綺麗な!すげえ!日本の絵巻物が動いてるよ!大友ってやっぱすげえな!
と言う他ない。本当にすごかった。
CGを使ってる部分が一部のモブと、人の髪の毛っていうのが面白い。アニメーションキャラクターにCGのカツラをかぶせてるみたいな感じかな。

安藤監督『GAMBO』、なかなかの衝撃作だった。えぐい。鬼が村を襲って山の神様が退治するっていう昔話を現実的にして、残酷さから目をそらさないで描くっていうところがポイントだったかなと思う。CGも独特の荒い線を使ってアニメっぽく見せてた。

カトキ初監督『武器よさらば』、戦闘シーンが大友の原作マンガより詳細に描かれていた以外はほぼ原作通りの展開だった。カッコイイエンターテイメント作品になってたけど、まあなんか無難な印象。これのどこが「日本」なんだ?と思って見てたら最後の遠景で申し訳程度に遠くそびえる富士山に笑ってしまった。

こんな感じ。CGアニメーション技術の先に行こうと、向上させようとしているのが感じられたし、進化を実感出来てよかった。
『風立ちぬ』のような一般の人々にも観てもらえる名作が公開されている裏では、こういうアニメを進化させようという挑戦があるものなのですよ。多分。  

ビューティフル•ドリーマーよりもオンリー•ユーが優れているワケ

2013年07月18日 00:03
アニメファンの間で、うる星やつらBDが好きと言っておけば、わかっていると思われる風潮。わかってない。全然わかってないわ。
オンリー・ユーの方が明らかに名作。その根拠を今回は述べようと思う。



一つ、エルたそ(CV:榊原良子さん)

以上。

やっぱり押井守って偉大だわ。榊原良子さんを気に入って、よく起用したということはもっと評価されるべきなんですよ。
押井が監督やった、世界初のOVA『ダロス』にだって出てンだから 。あんま面白くはなかったけど。
ヒッチコックにとってのグレース・ケリー、押井守にとっての榊原良子さん。やっぱ優秀な監督は優秀な女優を嗅ぎ分ける能力も高いのですよ。
部屋にオンリー・ユーのポスター貼りました。
  

「七人の侍」的時代劇と「もののけ姫」

2013年03月25日 23:52
『何が映画か「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』を読んで思ったことを。
 
 「七人の侍」はハリウッド的ストーリー構成をとっていると言われることが多い。これは安定した状況から変化が起こり、それに対するなんらかの解決がなされるという点で語られたことであるが、実際、ジョージ・ルーカス、スティーヴン・スピルバーグなど錚々たるエンターテイメント監督達が口々にこの作品の影響を語ることからもハリウッド的快楽、分かりやすさを持っていることが伺える。当然のことながら、黒澤明が映画に与えた影響はハリウッドだけではない。日本のアニメーション作家達も黒澤明作品を見て映像制作のなんたるかを学んだという。分かりやすい例で言えば、出崎統監督の「ガンバの冒険」がある。このアニメは主人公をネズミにしたリメイクとも言える作品となっている。このような明確な影響だけでなく、映像制作の基礎、方法論が受け継がれていることを見ることが出来る。本文ではそんな中で、特に影響を受け、また同じように世界にその名を知らしめ、続く作家達に影響を与え続けている宮崎駿を見ていこうと思う。また、「七人の侍」と対応させて「もののけ姫」を時代劇の傑作と捉えて考えていきたい。

宮崎駿と黒澤明
 黒澤明が映像を作る多くの者達にリスペクトされていることは疑い無いが、今回取り上げる宮崎駿も「七人の侍」が一番好きな映画だと語る一人である。また、真意は定かではないが、黒澤明も宮崎駿の作品が好きだと語っていた。日本を代表する映画監督が互いに意識をしているというのは興味深い話である。

黒沢明、宮崎駿の対談を読んで
 さて、『何が映画か「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』を読むと、早速馬や武具へのこだわりの話になる。武具はこの時代ならこうではないですかと宮崎が問えば、実はこれで正しいのだと黒沢が答える。映画の細かい部分にこだわることが彼らの楽しみなのだ。黒沢は撮影した戦闘描写や武士のあり方が正しいかどうか専門家達に聞いて回ったというエピソードもある。宮崎作品も背景の美しさや、人物の服装までこだわった映画を幾つも生み出している。宮崎駿の「雑草ノート」「妄想ノート」を読むと、ミリタリー中心ではあるが、その細かなオブジェクトへの気配りを知ることが出来る。こういったこだわりが彼らの巨匠たる所以であろう。

ディティール、リアリティへのこだわりと、目指すものの違い  
 さて、黒澤明と、宮崎駿は細かい部分へのこだわりにおいて、共通点を見いだすことが出来たが、異なる点もある。
 一般的な映像作品に置ける百姓達は、哀れな被害者で純朴な存在として描かれることが多い。しかし、菊千代が「嘘をつく 何でもごまかす」「けちんぼで ずるくて 泣き虫で 意地悪で間抜けで 人殺しだあ!」と叫んだように、「七人の侍」では我々の牧歌的な百姓への憧れをぶち壊した真の姿が描かれている。黒澤明が幻想を壊す程の徹底したリアルな世界を描いたのに対して、「もののけ姫」に登場する人々は必ずしもそのような醜い姿を見せるわけではない。逞しく、明るい、気持ちのいい人間達である。また作品全体に自然への幻想的な憧れも感じる。人間描写に置いて求めるリアリティに違いがあることがわかる。
 また、黒澤明は「テーマなんてものはなくたって、当然作品というものには作者の人生観が出て来てしまうものなんだな。」と語ったように、必ずしも作品にテーマを持たず、自身の中の思いは明確にしようとせずとも作る中に表れると考えた。「七人の侍」を見ると、ハリウッド的、ドラマティックであると同時に、客観的に時代の生活、事実を捉えたドキュメンタリーのようにも見える。単純なハッピーエンドに終わらないことからもそれが言えるだろう。ここで、時代の一場面を切り取ったかのような時代劇を「七人の侍」的時代劇と呼ぶことにする。それに対し「もののけ姫」含む宮崎駿作品は自然信仰や神秘主義、若者へのメッセージなど目的を持って作られていることが多い。

新時代の映画へ
 「七人の侍」が時代劇の最高傑作の一つであることは、多くの人が認めるところである。同時に1954年という早い段階でそのような作品が生まれてしまったことは、その後の作品にある種の縛りを与えてしまうことになる。作品が「七人の侍」的であればそれを越えていくのは難しい。そして、「七人の侍」の道から外れてしまえば時代劇映画製作のいろはを知らないやつだと言われかねない。それについて、宮崎駿はこう語っている。「黒沢監督は『七人の侍』を作ったことによって、日本の映画界に一つの基準を作ったと僕は思っています。(中略)その後、多くの人間達が映画を作るときに縛ってきた。(中略)我々に課せられているのは、「なるほど違う時代劇だ」という映画を果たして作れるかどうかということです。」この発言から4年後、宮崎駿は新作を発表する。それこそが、その縛りから逃れることを達成した「もののけ姫」であった。宮崎駿はこのアニメーションによって実写映画ではなし得ない表現を手に入れたのである。「もののけ姫」は正確には時代劇ではないかも知れない。しかし、劇中で見られる弓を射る姿、時代考証と人々の行動原理など細部のこだわりが見られるこの作品は方法論から見れば「七人の侍」的時代劇なのである。しかし、それだけではない。この作品は同時にファンタジーであり、人間の生きることや自然の神秘性をテーマとして語るのである。これこそ、「なるほど違う時代劇だ」と言える黒澤明の縛りから解き放たれた新しい映画の一歩ではないだろうか。
 今日、宮崎駿という人が残した功績が人々を縛っているように見える、ポスト宮崎駿、ポストジブリなどという言葉を目にすることもある。「なるほど違うアニメだ」と言われる作品を作るには必ずしも既存の方法論から逸脱する必要は無い。むしろ宮崎駿のやったように、既存の方法論を追求していく中に、新しい映画の一歩が見えるかもしれないのである。

【参考文献】
[1]『何が映画か「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』黒澤明、宮崎駿、徳間書店、1993年
[2]『大系 黒澤明 第2巻』黒澤明、浜野保樹、講談社、2009年
  
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